2009-10年度 第27回(通算3106回)例会報告
2010年1月14日
 
会                長 羽生 武喜
幹                事 田中 正巳
広報・会報委員長 工藤 彦夫
 

会長挨拶  羽生 武喜会長

 改めましてこんにちは。
 今日は予定していた還暦の人、それから今年年回りの人が非常に少なくて、時間が非常にあまりそうなものですから、とは言っても私もそのつもりで話の内容を全く考えてきておりませんけれども、年明け早々、釧路市内も昨日セオさんが残念ながらあまり良い話が内のですけれども、ちょっとそことは全然関係のない話ですが、先日、年男、還暦の方にカシミアのマフラーをプレゼントいたしました。そのような流れで何を話そうかと思っていましたら、カシミヤや何とか、そのようなことをお話ししてみたいと思っていました。私はそのような衣料業界なものですから良いかと思っておりますので、皆さんの参考になるかどうかは分かりませんけれども、お耳に入れられるものなら入れておいて下さい。
 カシミアというのはチベットカシミール地方の山羊でして、柔らかくて保湿性が高いということで、よく良いカシミアほど何か、曲玉のようなうねり、波のようなうねりのようなものあるのが良いカシミアだそうです。白い毛が主体であとは褐色、黒色、赤いカシミアはございません。赤はご承知かと思いますけれども染めているものです。赤や黄色などは染めているのが普通です。
その他に皆さん知っているものでアルパカというものがあります。アルパカ、最近は癒し系の動物として飼われている方がいて、ちょうど1メートルくらいの高さでかわいい顔をした、トイプードルを少し大きくしたような顔をしていまして、癒しの動物として話題ですけれども、これもやはりラクダ科の動物でして、南アフリカのチリ、ボリビア、ペルーなど、アンデス山地の高地に棲んでいる動物です。1メートルくらいの高さでくりんとしたかわいい目をして、癒し系の動物としてペットとしてもちょっと注目されているような動物らしいです。白い毛でやはり光沢のある、非常にこれも温かい毛の一種です
 それと皆さんよくアンゴラと言いますけれども、アンゴラというのはアンゴラというウサギとアンゴラという山羊の2種類ございまして、ウサギはモヘアと言って山羊はモヘア山羊というそうです。長毛のふわっとした毛です。よく紺色のスーツの方が皆さん多いですけれども、夜飲みに行って、ふわふわっとしたセーターを着ている女性の側に行くと全部付きますから、あれは注意した方が良いと思います。良いアンゴラほど、これは静電気のせいなのでしょうけれども、ふわっと付いてしまうのです。横の人に。女の人は付かないで毛がつきますので、特に川合さん、お気を付けいただきたいと思います。そのような女性がいるときはなるべく白っぽい服を着ていくと目立たないかなと思っております。
 それとビキューナというのがいます。これはものすごく希少価値で、今はなかなか手に入りません。そのようなものは無いと思われた方が良いかと思います。
あとはラクダというラクダの毛を使って、吉田さんあたりはもうはいていらっしゃらないかと思いますけれども、ラクダの股引、ラクダ色のものがラクダと言います。
それと皆さんもご承知かと思いますが、昔は釧路、北海道でラッコが捕獲出来たのです。ラッコの毛、これは猛獣ではないですけれども、ラッコをよく軍隊の頃はここに毛を付けたという、ラッコの皮で襟にしたということもあるそうです。そのような獣毛のお話しをしまして、とにかくだんだん希少価値の獣毛の毛ですので、だんだん高くなるのは事実のようです。
カシミヤはやはり冬場は温かくて良いと思いますので、赤い色のカシミアではございませんけれども、ご愛用いただいたら良いかと思います。
今日は『年男大いに語る』ということで、先ほど言いましたけれどもお2人にお話しをいただきます。寅年、タイガとココア、残念ながらタイガが駄目でしたけれどもココアは元気そうに歩いております。後は虎というと阪神タイガースですか。僕はあまり好きではないので巨人が優勝してくれると良いなと思いますけれども、タイガースファンの方でも熱狂的なファンの方もいらっしゃると思いますけれども、そのような寅年です。
年明け早々、釧路市内も先ほど言いました暗い話もありますけれども、大いに虎のようにゴーという力で何とか、今年1年頑張っていければ良いかと思っております。寅年の方、還暦の方に大いに今年1年の勢いをお話しいただきたいと思っております。
会長の挨拶になったかどうか分かりませんけれども、つまらない話をさせていただきました。ありがとうございました。
新入会員挨拶  木村 豊年

 木村でございます。この度、この歴史と伝統のある釧路ロータリークラブに入会させていただきました。本来ならば3ヶ月前に入会する予定でございました。
その前に吉田さんから色々とお話しがございまして「よし、入会するぞ」という決意をした時に、グリーンに出まして遊んでいましたら転びまして、骨折をしたということで、残念ながら2ヶ月間、本当に何と言いますか、大変な、初めての入院生活をしまして、今まで健康優良児と今までは自負していたのですけれども、本当に自分の弱さというのをつくづくと感じました。遅れてしまいまして大変申し訳ございません。
 実は先ほどレクチャーを受けた訳でありますが、今朝吉田さんの方から電話がありまして、実は今日お話しをする原稿をいただいたのです。この会というのはこれほど親切な、手を取り足を取りというような事で、そのような仲間なのだということで「原稿をやるから原稿を読め」ということでこのようなすばらしい原稿をいただきました。どうもありがとうございます。
 先ほど色々説明を、レクチャーを受けた訳でありますけれども、ロータリアンとして皆さんと共に社会奉仕、公私ともにまたしっかりと頑張っていきたいと思いますので、大変簡単でございますし、何もお話しできないところが自分の良いところなのかと思います。今私、皆さんに1つだけお願いしたいというのは、最後に少し紹介がありましたけれども、長期滞在ビジネスというところで役員をさせていただいているのですけれども、今の釧路は大変に厳しい、その中で何とか7月8月の涼しい釧路を何とか全国の、特に東京、大阪の首都圏のところからたくさん来ていただき、それによって少しは経済が潤うのではないかということをしておりますが、何せ私どもPRする力が不足しておりまして、どうぞひとつ、皆さんのお知り合いの中でそのようなことがございましたら、涼しい釧路へ1人でも多くの方々に来ていただいてという運動をしております。これは今始まったばかりでございまして、これからこれらに力を入れてしていきたいと思います。これで少しは釧路の活性化に繋がってくると思いますので、何とか1つ協力していただきたいと思います。
 甚だ簡単ではございますけれども、自己紹介を兼ねてPRをさせていただきました。ありがとうございました。
年男大いに語る」
石田 博司 会員

 自分でも信じられませんけれども60歳になったのだなと思います。60歳になった方というのはどうなのでしょうか、聞いたことはありませんけれども自分が20歳、30歳の時に60歳になるというのは想像したのかなと、私自身はやはり自分が60歳の歳を迎えるというのは想像もつかないと言いますか、何と言いますか、果たして生きているのだろうかとか、病院で還暦を迎えるのではないかというくらいに思うような、そのような、ご存じの方もいるでしょうがそのような人生でしたので、このように元気で還暦を迎えるとは、本当に感慨深いものがあると思います。
12年前、48歳のことを思ってみますと、今のこの世の中を見ますと、胸が痛むことばかりだと思うのですけれども、例えて言うに北方問題もさっぱり解決しないところにもってきて今度は竹島の方でもがたがたしている。拉致被害者はどうなるのだろう、胸が痛むことばかりであります。さらにはお世継ぎ問題の天皇家、この先どうなっていくのだろう。皆、胸が非常に痛んでおります。
 身近では釧路の経済はどうなるのであろうと、我が社はどうなるのだろう、胸が痛むことばかりなのですけれども、しかしながら1番、私が胸を痛めていることと言いますと、昨年の衆議院選挙あたりから、うちの孫娘が私のことを『じじい』と呼び始めたのです。その前兆がありまして、もともとは彼女の両親というのは私の娘夫婦が私のことを『じいじ』『ばあば』と呼ばせるようにし向けたのですけれども、『じいじ』『ばあば』というのは何となくかわいい感じがして私も嫌ではありませんでした。それが昨今のご時世なのか、言葉を縮めるせいなのか知りませんけれども、『じい』『ばあ』と呼び始めたのです。これは冗談ではなく孫がかわいいということでは決してありませんから、私、孫から、人から『じい』と呼ばれる筋合いはない。あの娘に昨年の春あたりから、2歳になったあたりから『じい』と言われると、何か本当は自分が召し使いになったような気がして嫌な気になるのです。よく「孫、かわいいでしょ」などと言ってくれますけれども、決してそのようなことはないです。目の中に入れられないです。痛くて。本当に『じい』と言われる度に嫌な気はしていたのです。
 それがちょうど衆議院選挙のあたりなのですけれども、『じじい』というのです。「ん、聞き間違いかな」、「『じじい』と言ったか」と娘に聞いたら、「うん、気のせい、気のせい」と言う訳です。何かのときに「ねぇ『じじい』」と言う訳です。「うん?言っているだろう」と言ったら、娘が下を向いて笑っている訳です。「何で俺は『じじい』」と言われる訳だと言ったら、娘の説明というかこれは推理なのですけれども、彼らは自分のことを『パパ』『ママ』と呼ばせている訳です。これも話が少し戻りますが、『パパ』『ママ』というのも非常に私は抵抗がありまして、「お前、『パパ』『ママ』はないだろう」と、「『お父さん』『お母さん』と呼ばせたらどうだ、『父ちゃん』『母ちゃん』でも良いではないか」と、だって『ママ』なんていうのは私が「ママー、水割りおかわりー」くらいしか言ったことがない訳ですから。それで『パパ』なんてその『ママ』が「パパー、ダイヤ買ってー」というイメージしかない訳ですから、『パパ』『ママ』なんていうのは我が家族の中で呼び合うこと自体がとてもたまらないと思っていたのですけれども、そのような理由を言っても「それはあなたの世界でしょ」と言われるのがオチですからじっとしていたのですが、その『パパ』『ママ』と言っているのが、その孫娘が『パパー』『ママー』と、この様な言い方になってきたのです。そうすると『パパー』『ママー』だから『じい』が『じじい』『ババア』になったのだろうというのが我が娘の、母親の解説なのですけれども『じじい』というのはたまらない。「止めてくれ、お前の娘、何とかしてくれ」と言いましたら、「何て呼ばれたいの」と言うから、「んー」「何さ」「おじいちゃまと呼ばれたい」と言ったら、「ぷ」っと笑って、「どこの世界に、『おじいちゃま』というタマではないでしょう」と言われて、それも却下であります。
 あっと言う間に12年経ちまして、次に『あっ』っという時には70歳、その次に『あっ』っという時にはご臨終の時かと思うのですけれども、次の年男の時、その孫娘は中学、高校でしょう。その時も『じじい』と言われているのか、『じじい』の上に『クソ』が付いてるのではなか、大まじめに嫌な気がして『じじい』と言われて返事をしない、私この頃なのですけれども、暗い話になって先輩歴々には大変申し訳ございません。これからおじいちゃんになる方、覚悟をした方が良いです。最初からキチンとその辺の計画を練っておかないと、自他共に認める若いと言われる私が『じじい』と家庭で言われているなんていうことは、とてもじゃありませんが飲みに行って言えません。
 先ほども、「石田さんも還暦じゃなくて48歳の年男かい?」と言われましたけれども、あれば別にお世辞ではないですよね。私は良いことは額面通りに受け取りますから。
 この1年、色々なことを考えながら、皆様とも楽しくおつきあいをしていただいて過ごして参りたいと思います。つまらない話で時間を取りました。前田くん、10分あるぞ。ありがとうございました。


前田 秀幸 会員

 皆さんこんにちは。スタイルもスピーチもとてもスマートな石田さんの後をお話しさせていただくのはとても緊張しますし、大いに語ると言われましても、何も語るようなことは無く、先ほど井上副委員長が言われましたけれども、大いに出席したのは良いですけれども2人しかいなくて10分、20分話せと言われましても、本当にネタもなくアレなのですけれども、僕も入ってまだ3ヶ月ちょっとしか経っておりませんので、ご存じではない方も多数いらっしゃるでしょうから、簡単に私の自己紹介と言いますか、どのような感じでここまで来たかというのをお話しさせていただきたいと思います。
 今日は出席されていませんけれども打矢さん、私が20歳の時に釧路へ戻ってきまして、もともと僕は美容師をしておりました。打矢美容室さんにお世話になっておりました。当時、打矢先生、今日はいらっしゃらないのですけれども、ご存じかどうかはわかりませんけれども、とても夜な夜な遊んで歩くのが大好きでして、昼間の給料だけではとてもやっていけなく、そのうち夜に遊んで歩くのが面倒くさくなってきたと言いますか、お金が足りなくなりまして、ある日友だちがアルバイトしていた夜の店へ行ったら、はたとひらめいたのです。飲みに行くのではなくて働けば一石二鳥なんだというかたちで昼、夜働いたのが縁、きっかけで夜の世界を知ったのです。夜の世界を知ると同時に色々な世界が広がっていき、女性関係も広がっていき、それは今でも広がったままで変わってはいないのですけれども、まるまる3年、本当に昼夜働きました。今だから言えますけれども、遅刻も本当にしょっちゅうしていまして、いく度に「前田くん、昨日何時まで飲んでいたんだい?」と言ったら「5時まで飲んでいました」というかたちで、本当に不良社員というかたちでお世話になったのですけれども、それでも見捨てずにずっとかわいがっていただいて、僕が退社した後もずっとお付き合いさせていただいたのが社長と打矢の社長だったのです。
 私はその後ずっと、夜はアルバイトをしながらフロムサーティというお店を立ち上げたのが僕が30歳の時でした。当時テレビドラマで松田聖子と時任三郎がやっていたドラマがあったのですけれども、ちょうど独立しようと思って店名を考えていたところ、そのドラマの中での設定で、その2人は広告代理店に勤めていてすごく仕事は出来るのですけれども会社からとてもはじかれていた2人で、その2人が「私たち独立しましょうよ、お互い30歳なのだから30歳からの新たな挑戦よ、フロムサーティなんてどう?」何て言うのが、『これだ』と、ちょうど私も30歳だったので、『男30にして起つ』という言葉もありましたので、フロムサーティという店名で始めてかれこれ17年経ちました。それこそ何年持つのかという思いも持ちながらやってきていたのですが、あっという間に17年。当時、僕がお店をした時に体重が52kgくらいしかなかったのです。それで今は70kgあります。約20kg近く増えて、それが本当に僕は若い頃何を食べても、どんなに飲んでも、何をしていても全然太らなかった、石田さんのようにずっとスマートなままだったのですが、ちょうど40歳の誕生日と言いますか、その歳の暮れをもちまして禁煙を始めました。7年ちょっと経ちましたけれども、禁煙を始めてから、40歳の時で60kgくらいだったのですけれども、やはりこの7年、8年間の間に、またさらに10kg太ったという、食事の量も昔ほど食べなくなりましたし、お酒の量は確かに増えたのかも知れないのですけれども、体を動かす機会も減ってきたという部分もありまして、とても今は見た目着やせするタイプなのですけれども脱いだらスゴイという、お腹が出て、最近、今週からなのですけれども古屋さんのところのアクアトピアに通い出して、今すごく筋肉痛でバキバキなのです。今日も例会が終わったらそのまままっすぐアクアトピアに行くのですけれども、僕よりも人生の先輩がたくさんいらっしゃる中でおこがましいのですが、本当に夜の仕事をしていますと飲むのが仕事ですし、時には何か、健康ではあるのです。僕は入院したことも無いですし、どこがどうのこうのというのは無いのですけれども、『いつ死ぬのだろう』というのが最近、本当に感じるようになりました。何事もなくあと12年過ごして、次の寅年まで石田さんのように元気に過ごせたら良いのですけれども、少しでも、昔はそんなに長生きしなくてもと思っていたのですが、実はこの間、偶々釧路で知人の紹介で霊能者的な方のところへ、偶々お話しする機会がありまして伺ったのです。別に僕は何かの宗教に邁進しているとか、何かを信仰して奉っているという訳ではないのですけれども、偶々縁がありましてお話しを聞いてみました。僕は昔から姓名判断や占い、そのようなものをしていただくと、とにかく悪いことを言われたことがないです。悪いことを言わないのが通例なのかも知れないですけれども、あなたはとにかく大器晩成だと、歳を取ってからもお金に困ることはないし、仕事に困ることもないから、あなたの晩年はとても豊かで何も心配いらないということを見る人見る人に言われたのです。その霊能者的な方に、僕はこのように言われるのですけれども、いつまで経っても良くならないのですけれども、いつになったら良くなるのか伺ったところ、「前田さん、今年48歳ですよね。人生100年と考えたらまだ半分もいっていないですよ」って。100年って考えて、今100歳まで生きる方はいらっしゃるかも知れませんけれども、でも80歳になって豊かになっても困るのです。僕は昔から夢で、30歳代の時は55歳でリタイアして、バリ島に移住したいというのが夢だったのですけれども、事業をする度に借金が重なり、借金の返済が先送りになる度に55歳ではとてもリタイア出来ず、65歳になってもまだまだやり続けなければならないのかという思いではいるのですけれども、人生100年という中で本当にそのように言っていただいた霊能者の明るい言葉だけを信じて、これからも次の寅年に向けてさらに健康に、元気で頑張っていきたいと思いますので、皆様どうか仲良くお付き合いの程をよろしくお願いいたします。すみません。

1月21日(木) 12:30~13:30     釧路キャッスルホテル

        
「釧路市長講話」                          
 担当:プログラム委員会
合計・・・942,000円
(敬称略)
佐川 健次・・・・一等賞、ありがとうございます。
浅川 了一・・・・新年早々、旅行券あたりました。
大道 光肇・・・・じゃんけんゲーム優勝
山下  望・・・・じゃんけんゲームパート2優勝
中村 幸史・・・・長男がフィギュアスケートで4月にスロベニア国際大会に行きます。
浅野  洋・・・・下期も宜しくお願い致します。
広報会報委員会 担当:工藤 彦夫