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2014-2015釧路ロータリークラブ 第27回(通算3345回)例会


会長の時間

会長挨拶 田中 正己 会長

皆さん、こんにちは。先週の例会で「今年に入ってから釧路は雪も降らずに天候に恵まれています」とお話をした矢先のこの頃、雪も降る日が多くなってきています。路面が凍結して滑りやすい状態になっていますので、車の事故が多発しています。困った時にはお互いに助け合いをしなければと思います。毎日、レッカーを出動していますが、皆さんも十分に気をつけていただきたいと思います。
 1月6日は小寒で、寒さの始まりです。1月20日は大寒で、1年で一番寒い時期という意味だそうです。この時期、風邪など引かないように健康管理に十分気をつけていただきたいと思います。
 話が変わりますが、3月7日土曜日に第7分区IMが開催されます。この会合は、第7分区の8クラブが集まって開かれる会合です。今年度のIMは、釧路東ロータリークラブがホストクラブとして『もう一度学びそう』のテーマのもと、本来のロータリーを親しみやすいロータリーにするため開催されます。
 プログラムは、基調講演は国際ロータリー第2500地区・奥周盛ガバナー。講演は清水パストガバナー、足立パストガバナーが予定されていますので、ぜひとも日程を調整して全員参加していただき、ロータリーを理解し、さらに知識を高め、そして深めていただきたいと思います。詳しくは、事務局から皆さんの所へメールで送られてくると思います。よろしくお願いいたします。
 本日のプログラムは『年男大いに語る』です。このあと、4名の予定でしたが1名が風邪で欠席ということで、3名の方々に今までの人生経験などいろいろとお話しいただけると思います。楽しみにしていただきたいと思います。よろしくお願いします。どうもありがとうございます。



本日のプログラム 
年男大いに語る

プログラム委員会 委員長 中山 峰啓 会員

皆さん、こんにちは。プログラム委員会の中山です。今日は、『年男大いに語る』ということです。年男をお迎えになった会員のお名前を紹介したいと思います。昭和18年・川合会員、青田敏治会員、打矢静司会員、吉田潤司会員。昭和30年・及川雅順会員、川本和之会員、水野哲会員。昭和42年・池田優会員、林英樹会員です。昭和54年は会員の方はおりません。全部で9名の方が年男になられています。その中で、本日ご出席していただいている青田敏治会員、吉田潤司会員、それから川本和之会員にお話しをお願いしたいと思います。
 先程、会長から紹介があったとおり、1人が今日欠席ということです。その方は及川会員なのですが、風邪を引かれたということです。関向さんが「実際にマスクしていました」ということなので、間違いなく風邪だと思いますので、皆さま、信用の程よろしくお願いいたします。
 それでは、早く生まれた方から順番にお願いしたいと思います。順番からいきますと青田会員ですね。その次に吉田潤司会員、川本会員ということです。約24分ありますので、おひとり平均約8分のリレーでお願いしたいと思います。青田会員からよろしくおねがいします。


青田 敏治 会員
 皆さん、こんにちは。青田です。72歳ですよね、本当に早いものですわ。会長がいま、「72年生きて来た人生を話してほしい」と言われましたが、人に話すような人生ではないし、話せば、30分で終わらないぐらいグジャグジャな人生になっていますので、それは止めときまして、最近の自分の健康法について、どのようにして体がもっているのから話してみたいと思います。ゴルフの話も出てきますが、やらない人は訳が分からないと思いますので寝ていて結構です。
 72歳ですが自分はとにかく、健康というものにはかなり気を付けてつけているほうだと思います。それも、下半身、足腰を中心に鍛えています。それは全て、ゴルフをやるために鍛えているという、それ以外にないのです。ゴルフ場はアップダウンがあって、芝があって、非常に膝には良いのですが、そこで年間、80ラウンド以上します。ですから、相当鍛えていると思いますが、その中で目標にしているのは、とにかく80歳まで歩いて、カートに乗らないで1ラウンドしたい。80歳までにエイジシュートをしたい。もうひとつは、80歳になってもドライバーの飛距離が極端に落ちないようにしたい。この3つを目標にしています。
 ところが、『つるい』という会報を開くと、泉先生の原稿が載っていますから、皆さん、見ていてくださいね。泉先生は、歩いて1ラウンドやります。80歳を過ぎているのですよ。そして去年、80歳でエイジシュートやったのです。ところが81回だと言うのです。私は、キャプテンやっていますから、「クラブとしては認めますから、数え年で良いですよ」と言っても、弁護士だから固くて「今は満年齢だから、これはそうでない」と。こういうことを言う人がいますが、会報の下に私、コメント入れておきますから読んでいてください。
 そんなことをやっていますが、1回話したことかも知れませんがゴルフ場の面白いことを話します。皆さんは、カラスが相当利口なのは分かっていますよね。これくらい利口なのは他で見たことないぐらい。
 芝生というのは黙っていたら枯れてしまうし、肥料を撒かないと腐ってしまうのです。芝生の中には、小さい「にっきり虫」みたいな白い虫、コガネムシの幼虫がいます。これが、肥料を撒かないと、ケチるとこれが無数に発生しちゃう。カラスはどうするかというと、木の上からずっと見ています。コガネムシの幼虫は芝の根を食べて生きているのです。食べた所は、根を切られるから白くなり、黄色くなりますよ。そこを目がけて来るのです。黙って音を聞いているカラスは耳が非常に良くて、カサカサという音を聞いて「カアー」と鳴いて、3〜4羽降りて来るのです。今度、それぞれの位置に構えて、グワーッとクチバシでくわえて、くちばしでひっくり返す。そうすると、無数のコガネムシの幼虫です。これを食べています。ゴルフ場に行った方は分かりますが、よく芝がひっくり返った所がよくあるのは、あれはカラスのせいなのです。
 あとは、グリーンでゴルフバックをキャディーさんが押していますよね。バックはチャックしていますが、カラスが降りてきてチャックを口で開けて、中から携帯電話を持って行く、財布は持っていく。食べ物があったら全て持って行きます。携帯電話が無くなっていて、鳴らしたら慌てて口から離したということがあります。私は、小銭入れを持って行かれましたけど、とんでもない所に落ちていました。そんなことで、カラスとも戦わなきゃいけない。これはすごいですよ、本当に。そんなことで、年間80回以上やっていますので、ずいぶん足腰を鍛えています。
 もうひとつやっていることは、古谷さんが帰りましたけど、アクアトピアで水泳ですよ、プール。シーズンオフになったら毎日行っていて、5時くらいに行って7時頃に帰って来るのです。ゴルフのシーズンオフになったら、週1〜2回行って、ストレッチをやって体ほぐしている。以前は、毎日1000m泳いでいたのです。今は、水の中を歩いている。これ、1時間歩いたら汗がだらだら、水分補給しないともたない。体重量って、1時間で上がってきたら、1kgか1.5kg落ちている。それくらい激しいのを今やっています。
 プールも昼過ぎに行ったら、おばちゃん達が凄いです、「おばあちゃん」ですね。私も「おじいちゃん」と言われるでしょうが、レッスン受けているのです。大体、おばあちゃんが50人いたら、おじいちゃんは2〜3人。それを真面目にやっているでしょう。あのパワー、凄いですから女性は長生きしますよ、間違いなく。高齢のおばあちゃんが一生懸命練習して、壁にターンして戻ってくる。また行って、壁にターンして戻って。「おばあちゃん、どうしてそんなにターンして戻ってくるのですか」と聞くと、「三途の川に行ってもターンして戻ってくるように練習しているの」ですって。これはジョークですけど、そんな話もあるぐらい、本当にすごいことになっているのです。
 古谷さんに言わすと、私は「優良会員ではない。毎日のように来るから」。会費払って来ない人が優良会員ですから、ここにもあまり良く思われない会員いるのではないですか、一生懸命に行く会員が。そういう所に行っています。
 少しお話が変わりますが、体を鍛えているのですが、やっぱり頭は鍛えようが難しいですから、物忘れは歳相応になってきている。新聞によく出ていますが、同じ話を何回も繰り返して話すようになってくる。それから、朝食べたメニューが夕方には何食べたか忘れた。これは物忘れなのですが、朝食べたこと自体を忘れるというのは、認知症の恐れがあるということなので、私はまだそこまではいってないので大丈夫かなと思います。認知症にならないように、頭の鍛え方があるのなら、皆さん何か教えてください。頭も鍛える、体も鍛える、そのようにして長い間やりたいと思います。
 1月10日の道新のいずみ蘭を見た人いると思います。女性の投稿欄、あれが60年経ったということで、その特集があったのです。その中に、「お前が写真に写っているぞ」と友人から電話が来ました。その当時は、89年4月と書いてありましたから、今から26年前、私が46歳の時ですから写真も見事に若いのです。どうして載っているのかなと思ったら、ちょうど89年4月から消費税が掛かるようになって、「消費税と魚を一緒に焼いてしまう」という女将さんが中心に載っていたのですが、その横に同級生と私がいたのです。その同級生も13年後に病死するのですが、まさか還暦前に死ぬとは本人も思っていませんし、私も思っていません。その新聞見ながらつくづく「人なんて分からないのだから、やりたいこと元気なうちにやらないと駄目だ」とずっと思っています。特に、それを強くしまして、先週、宮崎のゴルフに行ってきました。昨日、お蔭さんで帰って来たのですが、良い天気の中でプレーさせてもらいました。これも好きなことを今のうちにやらなきゃ駄目だという、そういうことですので、失礼させてもらいます。


吉田 潤司 会員

いまのままだったら、青田君に全部やってもらえば良かったのですが、順番ですから。
 今年の7月で72歳になります。私の人生は30歳で仕事を始めたので、70歳というのは非常に区切りの年で、会社を作って40年経ちました。それから、子供もやっと給料がもらえるところになりました。ただ、私の父親も会社をやっていたので私が大学入った時に、「お父さんの仕事は継がないよ」と言ったら、「おまえの人生は好きにしなさい」と言われたのです。その反動が来たのか返しが来たのか、子供が「私の会社を継がない」と言いましたので、「それもいいだろう」と。これは、大学に入った今から6〜7年前に言われたのです。
 その時から考えて、70歳で会社のこの先をどうするかをいろいろ決めました。いろいろな方法があって、何とか会社はうまくバトンタッチが出来るようになりました。
 まだしばらくは、会社に行っていろんな仕事していますが、この先何をしようかと考えました。私は仕事以外には、ゴルフも年間せいぜい4〜5回しかやらないですが、考えてみましたら30年もゴルフをやっているのです。これは自慢ですが、1回も100を切ったことがないのです。100を切ってなくて、前に青田君とゴルフをやった時に、練習もしない私がゴルフをやって、失敗して悔しがったら、青田君に「悔しがるのは練習したやつだ」と言われたのです。そうかと思いまして、五明さんに「今年は少し頑張る。それで気分一新でクラブ買い替える」と言ったら、「そういう問題じゃない」と。まず「ラウンド前に行って、“1時間やる”というのは練習じゃない。あんなものは、体をほぐすだけだから、まず練習しなさい」と言われ、練習を少しやって何とか100を切りたいなと思っています。
 ただ、115を超えたということも、ここ10年間位でないのです。いつも110、108その位です。ちょろちょろやっていまして、これはここでコンクリートされているのではないかと思いますが、今年は何とか100を切って、皆さんに「切りました」ということでニコニコにでも出してみたいなと思っています。
 私は、青田君のようにスポーツは何もしないし、尾越君のようにアウトドアもやらないのです。私は、囲碁が好きなので日曜はよくテレビの囲碁を見たり、井山裕太が大好きなのですが、ぜひ舟木道場に通って少し強くなって、初段か二段位になれればいいなと思っています。これも苦節10年、これからやっても、あまり上手くならないかなと思っています。
 全く無趣味の私が、絵を見ることがすごく好きなのです。絵を描いてみたいということで、私の会社の向かいにあるオオギヤさんという散髪屋さんは絵の有名な先生の店なのですが、「絵を描くのは簡単なの。毎日デッサンしてれば上手くなるよ」と言われて、これも、やろうやろうと思っているのですが、これもぜひやりたいなと思います。
 仕事もしばらくやって、健康についてはそんなに注意していることはないので、さっき青田君言ったとおり、古谷道場では超優良会員で、ほとんど行ったことがないのです。そういう会員だったのでプールを止めて、健康維持をやりたいなと思っています。
 青田君が面白い話をしていましたので、最後に、ほんのちょっとだけ。すごく面白い本を読んだのです。『裸はいつから恥ずかしくなったか』という本があったのです。これは、ペリーが日本に来た時に、ビックリしたのが、日本人の文化度が高い、街が綺麗、男女同権、など非常に素晴らしい国で、こういう日本の国は鎖国にした方が良いのではないかと。もし、開国したら、近いうちに欧米と肩を並べて、追い越してしまう恐ろしい国ではないかという話がありました。その時に、ペリーが「来てすごくビックリしたのは混浴だ」と言うのです。その本に解説もあり写真も見ました。裸の男の人が真っ裸で立っていて、そこで女の人が風呂に入っている姿もあります。若い女の子が家の前で行水しても平気だが、普段の女の人は胸もはだけないで、きちっと服を着ているという不思議な民族だったのです。いろいろ調べてみたら、本の中では、江戸は今の山手線の内回りに100万人近い120万人位が住んでいるらしいです。当時のパリで60万人、ロンドンで80万人しか住んでいなかたったので、ものすごい人口密度が高い国で、東京が大きな街だった。しかも、江戸時代の7割が武家屋敷に住んでいて、残りの3割は町人が住んでいました。町人はプライバシーのない世界にいたので、いわゆる見て見ぬふりの生活をしていたということです。ですから、人の詮索をしないとか、家の中でどんなふうになっているか何も見ない。そういう生活をしています。
 当時、街の中に風呂を造るということは防火上好ましくないと言われ、武家屋敷の大きな所だけに風呂があった。みんな銭湯に行っていたのです。銭湯を公立にするために混浴をしたのだと。そこにみんなが入って、ジロジロ見ているとおかしくなるというので、みんなが見ぬふりをしていたというのがスタートです。それにすっかり慣れちゃったのです。それで、ペリーが来たときに、ビックリしてその話を向こうにしたときに、外国人は、来てお風呂を見に行くことがひとつの楽しみにしていたのです。そういうことをだんだんやっているうちに、恥ずかしさが少しずつ出てきて、明治10年に混浴が禁止になったと。「明治10年頃には、日本人は裸が恥ずかしくなった」という話が書いてありました。でも、地方都市に行きますと、明治30年位までは混浴があって、一家の風呂で、舅、姑、嫁、女房、子供と皆でお風呂に入ったという写真も残っているわけで、裸というのはそんなに思わなかった。
 これは考えてみますと、例えば、フィギュアの選手も20年か30年前だと考えられない服装で滑っていますよね。でも、慣れてしまうと何と思わないのが、日本の文化だと。外国人が日本に来て「日本人は、裸の人を見て何とも思わないのか。変な気持ちにならないのか」と言ったら、日本人は「外国人はそんなに卑猥な民族なのか」という話もあるのです。そのくらい日本人は、裸に対しては見て見ぬふりをしていたのがあったと。
 この本『裸はいつから恥ずかしくなったのか』に興味がある方は、大変面白いエピソードがたくさん出ていましたので、読んでいただければと思います。以上です、どうもありがとうございました。


川本 和之 会員

皆さん、こんにちは。昭和30年12月19日生まれですので、まだ60歳までには少し時間ありますが、及川さん、水野さんは早生まれで、及川さんは1月生まれですから、僕とは1年間ぐらい違うのですが、今年60歳ということで年男。「私の前はどなたが喋るのか」と聞きましたら、青田さんと吉田さんということで、たぶん私の時間は短くなるだろうと予想していましたが、案の定、中途半端な時間を残していただきました。
 60歳は致し方ないにしても、還暦と言われるとちょっと抵抗があります。私が20年前に、ダスキンのレントオールという事業を始めた時に、還暦セットというお祝いごとのセットがありまして、座布団に赤いちゃんちゃんこと帽子がセットになって、お貸しするのです。そうすると、「還暦のおじいちゃんのお祝い」というイメージがあるものですから、どうも私は「俺、還暦かあ」と思ってしまいます。
 さっきも、横に白幡さんいらっしゃって、「青ちゃんと12歳違うのだなぁ。お前いくつになっているの」「え、60! え、60」と10回ぐらい言われましたが、白幡さんとお会いしたのが30代のことでしたので、そこからお互いに時間が止まっているようで、お互いに頭を見ると「えー」という雰囲気があります。60歳というと、ガバナー月信を見ていましたら、ちょうど青年会議所で同じ年度で活動した方が物故会員で載っていました。私も60歳前後というのは男の厄ではないけども、体の変わり目のタイミングなのかなと思っています。残念なことに60前後にして病気になられて、その後亡くなった会員の方々も、お友達もいらっしゃいますが、孝仁会の検診のセットで無理矢理2月くらいに検診に行こうかなと思っています。ぜひ、60歳前後の方々は一度、検診などされたら宜しいかなと思います。そこを乗り越えると、青田さんとか泉先生ぐらいまでは生き残れるのではないかと思っております。
 今回、ゴルフの話が出ていましたが、私のゴルフの考え方は、少し年齢が積み重なっても時間とお金に余裕があり、18ホールを回られる体力・健康があり、退職しても仕事から離れても声をかけていただける友達のいる(ひとりじゃゴルフ出来ませんので)、それを私は胸に秘めながら「僕が80になっても、ゴルフが出来る状態を作る為だ」と思いながら、いま仕事をし、下手なゴルフを日夜しています。そう考えると、泉先生は80歳になって自由にゴルフをしながら、歩いて回ることにこだわりを持って、そしてエイジシュートも。本当に僕の目標の人ですので、これからいたわりながら、お付き合いさせていただきたいと思います。青田さんは、まだライバルで飛距離を争っていますので、甘くはしません。そんな楽しい一時を皆さんで作っていただいて、私は恵まれて先輩が多いのですが、どうも先輩は人数が減っていきますので、これからは年下の仲間ときちっとお付き合いをさせていただきながら、仲間の数を減らすことなく、これから謙虚に生きていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。以上です。



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