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2015-2016釧路ロータリークラブ 第15回(通算3381回)例会


会長の時間
会長挨拶 西村 智久 会長    

 皆さん、こんにちは。先週は風の強い中、冒険心豊かな有志20数名が出席いただき、本当にありがとうございました。先週もご報告申し上げましたが、かねてよりRI理事に立候補していました小船井修一会員は、残念ながら選に漏れました。第1ゾーンのRI理事に指名されたのは山形県・鶴岡西ロータリークラブの石黒慶一様・歯医者様が選ばれています。このまま承認しますので、ご報告いたします。

 先週も申し上げましたが、台北中央ロータリークラブの30周年にご参加いただけるようご案内申し上げています。他の姉妹クラブが3050人という中、何とか10人以上で行きたいと考えています。今週いっぱいで大体の人数を固めて向こうに報告しないといけないのでご検討をぜひいただきたいと思います。

明日から、旭川で今年度の地区大会が開かれます。少し雪が降ったということなので、ご心配な方は冬タイヤに替えた方が賢明かなと思います。日中、走行する分には夏タイヤでも大丈夫だと思います。くれぐれも気をつけて来ていただきたいと思います。日程の加減上、明日の夜に釧路クラブナイトの前夜祭を開かせていただき、2日間に亘って皆さま方と懇親を深めたいと思っています。楽しく過ごしたいと考えています。

最後に、大変重要なことがひとつあります。いよいよ、2016-2017年度次年度の役員を選出する時期になりました。釧路ロータリークラブ細則5条1節「本クラブの年次総会は毎年12月第一例会に開催されるものとする。そして、この年次総会において、次年度の役員及び理事の選挙を行わなければならない」。また、3条1節には「役員の選挙すべき会合の1ヶ月前の例会において、議長たる役員は会員に対し、次時年度会長・副会長・幹事・会計および5名以内の理事を指名することを求めなければならない」という文章を受けまして、本日の例会を次時年度会長・次年度副会長・幹事・会計および理事の選挙の告示といたします。自薦・他薦は問いません。1112日、11月の第2例会までに理事会にお申し出いただきたいと思います。期日の例会までにお申し出がない場合は規定に従いまして、会長および指名委員会、理事会にて指名させていただきます。皆さま方、ふるってのご応募をお待ちしております。以上でございます。

 本日のプログラム

『釧路の蕎麦歴史』

プログラム委員会 委員長 境出 雅仁 会員

 皆さま、こんにちは。プログラム委員会の境出でございます。本日は竹老園東家総本店4代目の伊藤純司様に釧路の蕎麦歴史の話をしていただこうとお出でいただいています。

実は昼例会で、新そばの時期なので新そばを食べながら色んな話を聞けないかといろいろ模索しましたが、各種課題が解決出来ずに今に至って、お昼時の一番忙しい時間ですが伊藤様にお願いして、釧路の蕎麦の話をしていただくことになりました。たくさんの方はご存じかもしれませんが、ロータリーでは初めてということなので、いろんな話を聞けたらと思っています。では、伊藤様、よろしくお願いいたします。


竹老園 東家総本店4代目 伊藤 純司 様

 皆さま、こんにちは。竹老園東家総本店の伊藤純司と申します。私の父はまだ社長ですが、90歳になるのでそろそろというか遅いぐらいですが、世代交代は不景気で進んでいませんが、今、徐々に進めているところです。ラグビー日本代表の五郎丸選手がいつもと同じような格好でやれば、同じように平気でやれば緊張しないと言っていたので、この格好で来ましたが、緊張しています。

境出さんから、本来であれば「新そばの季節なので食べたい」と話が出たみたいですが、打って食べるのは時間がかかるのでうまく出来ませんので、せめて蕎麦の話だけでもとお話しが来ました。短い間ですがよろしくお願いいたします。

 私も何回か竹老園の歴史について喋ってくれと言われていたので資料を作りました。お手元にあると思いますが何回も使っているので、もう見たことある方がいらっしゃるかもしれません。歴史は変わっていないので使い回しをしています。30分のお話の中で、お客さまからよく聞かれることをお話ししようとずっと考えていましたが、なかなかまとまらなくて、結局、資料はいつもの資料になってしまったことをお詫び申し上げます。

「釧路の蕎麦の歴史」と聞かれることが結構多いですが、私どもは竹老園東家の歴史はお話し出来ますが、釧路の蕎麦の歴史ということになるとおこがましいので、私どもの分かる範囲で竹老園の歴史についてよく聞かれることを中心にお話ししたいと思います。

お手元の資料1番で、竹老園東家総本店の歴史を年表式にまとめました。よく「創業何年ですか」と聞かれます。一番上の右側に、蕎麦屋の創業141年前、と書いてあります。1874年(明治7年)に小樽で伊藤文平という初代、私のひい爺さんのお父さんになりますが、夜啼きそば屋を始めたのが最初で141年前と説明申し上げております。この時は屋台の蕎麦でしたが、小樽で明治10年に店舗式の蕎麦屋を開業しています。これから小樽で28年くらい営業して、その後に1902年( 明治35 )に函館に移っています。記録によると小樽で結構盛業だったので、昔の仲間や居候がどんどん増えて、このままでは蕎麦屋が成り立っていかなくなるぐらいになってきたので、小樽を閉めて、函館に移ったようです。

函館でも店舗を設けて、明治37年に東家を開業しています。それから3年後の明治40年に函館の大火で店舗が全焼したので、この時、後に竹老園初代になる伊藤竹次郎が器用だったので表具師になって生計を立てていました。この後、明治7年以降の明治年間は、ほとんど小樽・函館でしたが、釧路に移ってきたのは明治43年です。釧路の港が築港景気で「景気がこれからよくなりそうだ」ということで移ってきました。最初は蕎麦屋をやっていなくて表具師のまま移って来たということです。

釧路で開業したのは明治45年ということで、103年前です。3年前に100年でしたが、釧路で100年で、竹老園で100年ではないので大きくは宣伝しなかったのです。釧路に移ってきてから蕎麦屋は103年続いています。釧路で最初にやったのは真砂町といって、南大通にあったそうです。釧路でも大火に合って店舗も新しくしています。

先代の伊藤徳治は新潟から出てきましたが本店も盛業で、最初、徳治は本店でやっていましたが、竹老園の初代・竹次郎は本店を徳治に任せることにして、開いたのが今の竹老園にあたります。それが昭和2年です。今の竹老園は、現在地では88年目です。2027年で100年になります。それまではしっかりと続けないといけないと思っています。 

あと、よく聞かれることは、「蕎麦のコースがありますが、いつ始まったのか」ということです。2ページ目の3行目、昭和25年に『そば寿司』が完成しました。それによって『蘭切り蕎麦』、『茶そば』、『そば寿司』でコースを始めました。コースも65年ほど経っています。

「天皇が竹老園にお蕎麦を食べに来た」と言われますが、実は当時、釧路の迎賓館だった六園荘に天皇陛下が泊まられて、そこへ『蘭切り蕎麦』を持って行き、食べていただきました。この蘭切り蕎麦は宮内庁から指定があって「茶そばなどは刺激が強いので駄目」ということで、最終的に蘭切りに決定しました。その時に、蘭切りの「おかわり」をいただいたので、祖父は涙を流して喜んだそうです。よく「竹老園のどの部屋で天皇が食べたのですか」と聞かれますが、竹老園に天皇が直接来られたことは今のところありません。あとは書いてあるのを読んでいただければと思います。大体の年表でご説明させていただきました。

もうひとつ、今回お話ししたいと思っていたのが「どうして蕎麦は緑色なのか」ということです。それは3ページの『竹老園東家総本店の蕎麦』のところに書きました。なぜ、緑色なのかというお話しをすることは結構時間がかかります。まず、『蕎麦』そのもののお話しをしなければいけません。あとで『新そば』を皆さまに見ていただこうと思っています。蕎麦の実が黒いことはご存じだと思います。黒い部分が殻になっていて、その取り除いた黒い皮を枕に詰めたりすると『そばから枕』なったりします。それが作物としての蕎麦です。このまま粉にするというお店もあって、そういう蕎麦屋は蕎麦が真っ黒です。かなり重い、お腹にグッツとくるような蕎麦。この皮ごと挽いて食べさせる蕎麦屋は非常に珍しくて、あまり見かけないです。大体は、黒い皮は取り除き、粉にします。これ新そばです。今、お渡ししたのは作物の蕎麦の殻を剥いた『丸抜き』と言われています。それは普通に食べられる蕎麦です。それは今、緑色していると思います。それを全部、粉に挽いて蕎麦を打つと緑色になります。ですから、「蕎麦が緑色というのは珍しい」とか「変な色」と言う方もいますが、緑色であってもおかしくないのです。釧路でも手打ちをされるお蕎麦屋さんありますが、今ご覧になられた蕎麦の実を丸ごと挽いた粉で蕎麦を打つと、淡い緑色の蕎麦、これがまさに新そばです。それが1年くらい経つと、だんだん枯れてきて茶色になります。この茶色の蕎麦の実を挽いた粉で蕎麦を打つと茶色の蕎麦が出来ます。よく『田舎蕎麦』で茶色の蕎麦があります。どんどん年が経つと茶色になり、緑色が枯れていきます。その「新そばの緑色を一年中出せないものか」と色を付け始めたのが神田の蕎麦屋がやった工夫で、一年中新そばのようだったので、江戸時代にそれが大変うけて繁盛したということらしいです。

私ども、小樽時代から緑色の蕎麦だったので、初代の伊藤竹次郎が旅行も好きだったことで、蕎麦を食べ歩いた時に、それが面白いので緑色の蕎麦にしたのではないかと考えています。「東家の蕎麦がなぜ緑色になったのか」は、今のところ知る人がないというか分かっていません。大体、そういうことであろうと。

今、ご説明したように緑色の蕎麦を最初に出したのは東京の神田にある藪蕎麦さんが、新そばの時期は緑色だったのが、色がだんだん悪くなってくるので、新物好きの江戸っ子にうけるためにやった工夫が、蕎麦の実を育てて、蕎麦もやしを作ってその葉を混ぜて色をつけたのが最初です。

『藪蕎麦』というのは本来、暖簾ですが、蕎麦そのものを指すようになりました。「藪蕎麦は緑色」という時代があったと思います。私が子供のころは「藪蕎麦は緑色で、更科蕎麦は白で、繋がったのは卵繋がりでやや黄色の蕎麦だよ」と私の父が話してくれたことがありました。そういう時代があり、その時は、そば粉屋さんが「お宅は藪蕎麦ですか」と聞いて「藪蕎麦です」と言うと、そば粉と一緒に緑色の粉を販売していた時代があったそうです。その緑色の粉が人工着色料だったので、蕎麦に対しては使用禁止になりました。それで、私が小学生のころだったと思いますが、「さて、緑色は何で着けるか」ということで、そば粉屋さんも一緒になっていろいろ探していました。 

今は、クロレラの粉末を使っています。当時もクロレラを使おうという案があったのですが液体の物だったので、結構苦労を重ねました。今は、クロレラの色を着ける製粉技術が上がってきたので非常に使い易くなっております。今はクロレラの粉末をそば粉に混ぜて提供しています。緑色はこだわっていて続けていこうと思っています。クロレラが良いか悪いかは今、私どもで検討していまして、こういう時代になって色んな緑色の物が出てきているのでクロレラを使い続けるかどうか、蕎麦に近いもの、蕎麦由来の緑色があればそれを使うことになると思いますけど今のところクロレラを使っています。東屋系列で「クロレラ蕎麦」と言わないようにしているのは、クロレラを入れるのが危ない蕎麦ではないと思っていて、緑色には結構こだわっています。ここはお見知りおきいただきたいと思います。

東家のなかでも、東家はチェーン店ではないのでそれぞれの店は独立採算でやっていますので、緑色の濃さの違いはそれぞれ店主の判断でやっていて、非常に濃いところもあれば薄いところもあります。クロレラを入れるのは蕎麦屋としてどうかというところもあって更科で出している所もあって、東家の蕎麦は、元々は全店が緑色でしたが、今の着色料が良くないという時代に止めた方もいらっしゃいます。

『ぬき』について書きましたが、釧路の方は『ぬき』をご存じだと思います。観光客のお客さまが『かしわぬき』を頼まれて、「蕎麦が入っていない」と言われることもあります。温かい蕎麦から蕎麦を抜いたのが『ぬき』なので、かしわ蕎麦から蕎麦を抜いたのが、『かしわぬき』です。元々蕎麦屋はお酒を飲む店。今もそうですが、東京に行くとお酒飲んでいるお客さんたくさんいらっしゃいます。お酒を飲まれる方が、ちょっとしたつまみが欲しいということで、汁物の天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いた『天ぬき』をつまみに食べていただく。汁と汁に浸った衣を食べながらお酒を飲んでいただく。など、つまみのひとつとして出したのが『ぬき』ということです。『かしわぬき』は大体メニューに入っています。それ以外の今言った『天ぬき』や、かしわが苦手な方は卵とじから蕎麦を抜いた『とじぬき』、また『親子ぬき』などが出来ますので苦手の物があったら注文していただくのもよろしいかなと思います。

私が用意した話はこれぐらいですが、今は、釧路自体の人口が減少している中で、「外食産業が大丈夫か」「だんだん縮小していくのではないか」と組合などでは話も出てきています。私どもも、外食文化を支えるひとつとして、釧路の皆さまが蕎麦好きでお昼に蕎麦を食べていただけるので成り立っています。蕎麦を中心として、街自体を盛り上げているように組合を上げて取り組んでいきたいと思っています。ただ蕎麦だけでは生き残れないと思っているので、蕎麦があり、お寿司があり、和食があり、ラーメンがあり、炉端がありと、それぞれがバランス良く生き残っていかなければいけないかなと考えています。そういう意味では、『どんぱく』を初めとしたあのような場所を使ってお互いに連携を取りながら、釧路の皆さんと共にこの街を支えていければと思います。

なかなか景気自体が良くなってこないので。少しどうですかね、高速道路が白糠まで来て少しお客さま増えているような気がしますが、結局は、地元の方に支えられている部分が大きいので、お互いさまということで蕎麦を食べに来ていただいて、また私どもも他の飲食店は利用するし、いろいろな部分でお世話になって行くということで街が続いていくように。なかなか厳しい時代ですが、今後とも竹老園だけではなく、蕎麦を1日1食食べていただければありがたいですが、1日1食とは申し上げないですが、1ヶ月に1度くらいは、1週間に1度くらいは食べていただけるとありがたいなと思います。今日はどうもありがとうございました。 

会長謝辞 西村 智久 会長

  伊藤様、本当に今日は貴重な話ありがとうございました。釧路に住む者として、竹老園・蕎麦と福司・お酒、この2つを必ず守っていかなければならないと私は常々考えています。

本日の話の中で『天ぬき』『親子ぬき』を注文すれば食べられる。これは、『そば通』になれるひとつのヒントをいただきました。普段、僕も皆さまもそうですが、親戚が来たときは必ず1回は「竹老園に連れて行って」という場面は生じます。その時に聞かれることには、今、答えをいただきました。これから『そば通』らしい言葉を喋れる大変貴重なお話をいただきました。皆さま方も『そば通』に一歩近づいたということで、大変よい話だったと思います。最後に講師から「お互いさま」という言葉をいただきました。ぜひ、お互いさまの気持ちで釧路ロータリークラブへ入会、ぜひお願いしまして謝辞といたします。どうも今日はありがとうございました。

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