2015-2016釧路ロータリークラブ 第27回(通算3393回)例会 |
会長の時間 |
本日の例会テーマは、毎年恒例の『年男大いに語る』ということでありましたが、今年は年男の方で出席の叶うメンバーがいないということで、緊急特番と書いているのが、緊急登板であります。NHKの西野会員に『災害報道について』ということで急遽、緊急登板をお願いしたところです。プログラムが代わったことをまずもってお詫び申し上げます。
何点か報告事項がありますので、ご案内しておきます。韓国の国際大会は、現在3万5,000人以上が登録しているということです。3月31日までの登録をもって割引登録料が無くなるということで、お急ぎ登録いただきたいというご案内が来ています。また、そのソウルの国際大会において、舟木会員に良く聞いてほしいですが、第17回ロータリー国際囲碁大会が開かれるそうです。ぜひ、舟木会員には出場していただきたいと思っています。
次に、今年、皆さま方には、新入会員をご紹介した方々にボタンの座布団みたいのを差し上げておりますが、3月以降が廃止になるということでありますので、大変貴重なものになると思います。2月29日までにRIに報告した分だけ、この座布団みたいのが来るそうです。この機会は最後になるかも知れません。座布団欲しい方、お早めに新入会員のご推薦をお願いしたいと思います。
次年度に関わることですが、来年16〜17年度のテーマが決まりました。『人類に奉仕するロータリー』ということです。詳しくは次年度会長か幹事から、この後ご説明があると思います。ここでは割愛させていただきます。
最後に、釧路商工会議所青年部20周年特別講演ということで、林修講演会『いつやるか、今でしょ』が2月13日土曜日に開催されます。釧路ロータリークラブで協賛させていただきまして、券をいただきました。ぜひ行ってみたいという興味のある方は事務局にご連絡いただければ先着5名に差し上げたいと思います。ふるってのご参加をお願いします。1,000円ですので5名に外れても、自分で登録していただき、ぜひ聞いていただきたいと思います。以上です、本日もどうぞよろしくお願いいたします。
本日のプログラム |
“緊急特番 NHK災害報道について” |
プログラム委員会 委員長 境出 雅仁 会員
皆さん、こんにちは。プログラム委員長の境出でございます。冒頭、会長からお詫びをしていただいたので、言い訳をお話させていただこうと思います。今年、年男の方は4名いらっしゃって、古谷さんが昭和19年、伊藤会員と辻会員が昭和31年、ちょうど還暦の年で2名、そして辻本会員は昭和43年、の4名です。ロータリーの会員数が約100人だとすると、平均的にそれぞれの干支には8人位がいるはずですが、申年に限って4人しかいなくて、出席率を勘案するとその内の半分しか出てこないうえに、昨今の出席状況を見ると「ゼロになるだろう」という読みをして、実は、西野会員を使って保険を用意していた訳でございます。
ちょうど阪神淡路から21年、釧路沖地震から23年。同じような時期に地震が来ています。先週のロータリーの時にも、いきなりP波で緊急地震速報が鳴って、今朝も揺れた、ということもあり、その辺の災害報道のことを西野局長にお話しいただくということであります。よろしくお願いいたします。
『NHK災害報道について』
出席委員会 委員長 西野 和志 会員
今日は貴重な時間をありがとうございます。NHKの災害報道ということで。実際に災害起きた時に身を守る術やどう対処するか等は、消防や市の防災関係の方がプロですので、そういうお話ではなく、我々が発信する災害報道・災害情報はどういう仕組みで、どういう事を伝えたくて取り組んでいるかをご説明して、身を守る術に繋げていただければということでお話させていただきます。
先ほどお話がありましたが、1月17日、阪神淡路大震災から21年、1月15日が釧路沖地震から23年、ということで地震についてのお話です。1月17日に弊社の『NHKスペシャル』でも、改めて阪神淡路大震災の状況を振り返って「建物が倒れた時の衝撃で亡くなった方よりも、窒息死の方が多かった」という話がありました。急に胸がつぶれるような骨折するような衝撃ではなくても、物が倒れかかって息が出来なくて亡くなったという方が多かったのと、復旧して電気が流れた時に通電火災が起きて、後から火災発生して被害が大きくなったということもありました。
そういう話もありましたが、個人的に阪神淡路大震災のことを話させていただきます。
21年前は東京の報道局にいまして、朝、家内から「大変な地震が神戸であったよ」と起こされました。私も、大阪出身で20数年間、関西に住んでいましたが、個人的な経験として20数年の間で大きな地震というのは経験がありませんで、奈良で震度4が1回あったということが記憶に留まっております。最初、「神戸で大きな地震」と言われた時に、変な冗談を言って俺を早く起こそうとしているのかと思いました。それぐらい、関西での地震は想定外だったのです。とにかくテレビを付けたら阪神高速が倒れている映像がありまして、「これは異常な事態だ」と言うのでセンターの渋谷に行きました。急きょ、関西出身ということから応援で神戸・大阪に送られました。10時過ぎの新幹線に乗り、ずっと各停で名古屋までしか行けなくて、名古屋に着いたのが午後4時。そこから近鉄電車に乗り換えて奈良経由で上本町に着いたのが午後6時でした。夜通し仕事をして『おはよう日本』に向けたニュース制作をしまして、次の日にホテルで仮眠していると、昼過ぎに「神戸に入れ」という話がありました。陸路は全て緊急車両専用になっていて入れませんので、大阪の南港からタグボートをチャーターして大阪湾をまたいで三宮に行きました。
その時のポートタワーがある所はこういう感じでした。液状化してポートタワーは完全に傾いています。道すがら、局に行くまでの間、写真を撮りましたが、建物の1階が駐車場になっているマンションやこのビルのように真ん中がサンルームや窓の広い食堂になっているような建物は全て割れて倒壊していました。なおかつ、我々にとってショックだったのは、神戸放送局自体も被災して、1階のホールは窓が壊れています。中も天井が完全に壊れていて、編集機も150kg位の重さがありますが、それが2〜3m飛んで倒れている状態で、もし昼間に仕事をしていたら、それで何人かが亡くなっているだろうなという感じでした。結局、1週間近く仕事はこの局で応援の者が来てやっていました。が、余震が無いのに震度計が反応する状態で、この神戸放送局の建設に当たった建築会社が来て「調べたら、土台が痛んでいるので即刻避難してください」ということになりました。近くの小学校のグラウンドに仮設の、工事の時にあるバラックの建物を作り、そこに必要なカメラや機材を移して取材・製作し続けていました。
我々にとっても、全国に54の放送局がありますが、被災して放送局自体が使い物にならなくなったという事態は初めてでした。この神戸の阪神淡路大震災の経験を得て、災害報道もいろいろ取り組みの中で、報道の取り組みも変わりました。災害報道は大きく4つの段階があると考えています。発生前、それから発生直後、復興や支援が必要な状況になった時、それから平常時。今までは、発生直後、どんな被害が起きているか、どこで何が起きているかを伝えるのが主でした。が、阪神淡路大震災の経験を経て、発生前、出来るだけ被害を少なくするにはどうしたら良いかというのと、平常時にどれだけ心構えや備えをしてもらうか、が大事だということで被害の報道から減災・防災に繋がる報道に力を入れています。
ただ、これからさらに2011年、東日本大震災の時に想定を超える自体が起きまして、我々も報道の対応を変えることになりました。当時の東日本大震災の報道について短くまとめたものがありますのでご覧下さい。
(DVD上映)
これが仙台空港です。
観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震。押し寄せる巨大な津波。原子力発電所の事故。東日本大震災は、NHKにとってこれまででもっとも大きな災害報道になりました。
※※このような火災が起こりまして、(緊急地震速報の報知音)※※
「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」。午後2時46分50秒、国会中継の放送中に緊急地震速報が発表されました。NHKは大きな災害の恐れがあると判断し、テレビ・ラジオの全ての放送を『臨時ニュース』に切り替えました。
「国会中継の途中ですが、地震・津波関連情報をお伝えします」。NHKがおよそ全国460カ所に設置しているロボットカメラ。このカメラが地震の揺れの瞬間を捉えました。NHKは各地の揺れの様子をリアルタイムで放送し、警戒を呼びかけました。
「地震が発生した地域の皆さまにお伝えします。落ち着いて行動してください。揺れが収まってから火の始末をして下さい」「まず上から落ちてくる物、倒れてくる物から身を守って下さい」。
(津波警報の報知音)
緊急地震速から、およそ3分後。気象庁から大津波警報が出されました。「宮城県には大津波警報が出ています。午後3時に6mの津波が到達すると予想されています」。多くの人が高台やビルの上に避難しました。
NHKの放送は津波からの避難を最優先に呼びかけました。「海岸や河口付近の方は早く安全な高台に避難して下さい。海岸や河口付近の方は早く安全な高台に避難して下さい」。
大津波警報からおよそ30分後。各地のロボットカメラは津波が堤防を越え、家や車を押し流していく様子を捉えていました。
「すげぇー」「こんなにねー」「上に上がれ!」。
大震災の被害の大きさをいち早く伝えたのがヘリコプターからの映像でした。大津波警報からおよそ1時間。津波が川を遡る様子を捉え、生中継で放送しました。
「仙台市の名取川の現在の様子をご覧いただいています」「こうした様子は1983年の日本海中部地震の時にも観測されています」。黒い津波が平野を覆い尽くす衝撃的な映像は海外のおよそ2,000のメディアを通じて伝えられました。全世界に救助や支援の動きが広がりました。
仙台空港には、NHKのヘリコプターとカメラマンが常に待機していました。大きな揺れのあと、すぐに離陸しました。仙台空港はその後津波に襲われ、大きな被害が出ました。報道機関の中で離陸出来たのはNHKのヘリコプターだけでした。NHKはヘリコプターを全国12カ所の基地に14機保有しています。地震の発生直後には仙台を含め12機のヘリコプターが一斉に離陸、取材に向かったのです。
「周りは、水に覆われていて、完全に孤立しています。屋上にはヘルプの文字と旗を振る人の姿が見えます」。津波で被災地に近づけない中でヘリコプターからの映像は建物の屋上や道路が寸断された集落で孤立していた人たちの姿を伝え、救援活動にも繋がりました。
(DVD終了)
以上、短く見ていただきました。きっかけが緊急地震速報、それから津波の警報、そしてロボットカメラ・ヘリ中継の映像、それから実際に現場での被害情報を伝える報道で、避難を呼びかけたのですが、津波が来るまで30分ありましたが、1万8,000人の方が犠牲になったというのは我々にとっても非常に重い事実として受け止めています。このきっかけになった緊急地震速報。先週もこの時間帯に出ました。その仕組みについて簡単に表した動画があります。ご覧下さい。
(DVD上映)
地震はP波と呼ばれる小さな揺れのあと、S波と呼ばれる大きな揺れが来ます。緊急地震速報はP波を捉え、S波が来る前に揺れの大きさを予測して発表します。
(DVD終了)
地震の時に、小さなカタカタと揺れが来て、それから大きなグラグラと揺れが来るのを皆さん体験したことあると思います。この最初の小さな揺れ、P波が秒速7km、大きな揺れをもたらすS波は秒速4kmなので、この差を利用して、気象庁では、全国に1,130ある高感度の地震計で、P波がをキャッチして、スーパーコンピュータで分析し、震源やマグニチュードなどを把握して、震度5弱以上の時に流すことになっています。これは2007年から気象庁が始めています。
この緊急地震速報については、NHKはテレビ4波とラジオ3波で、全自動で、普通はスーパー速報の時は人の手を返して確認して流しますが、これだけは気象庁から来たら、誰の手も介さずに流すことになっています。番組の途中で入ると、関係ない九州のものを北海道で見ている時に「せっかくの番組の邪魔になるじゃないか」と言われますが、とにかく全自動で地域関係なく流すことになっています。
緊急地震速報、実際に東日本のときにどれくらい余裕があったかということですが、震源に近い宮城県気仙沼や石巻だと、大きな揺れが来るまで緊急地震速報から10秒です。仙台市で15秒、東京で65秒しか余裕がありません。それぐらい「緊急を要するものだ」ということで、我々は人の手を一切介さずにこれを流すことにしています。
先ほどの色んな現場を伝えるのに重要なロボットカメラですが、これは空港や河川・原発の見えるところ、それから繁華街などに全国500カ所にNHKが独自で設置しています。どうして地震発生時の映像が見えるかということですが、これは、ちなみに釧路放送局でも持っていますので色々なところに置いています、ということです。
モニタリングシステムというのがありまして、東京の報道センターのサーバーに全国の映像が12時間分蓄積されるようになっています。ですから、発生時の時間に合わせてタイムコードを戻すとその時の映像が出るようになっています。しかも、自動的に大きな地震が発生した時は震源に近いところ8カ所を選び出してくれるシステムにもなっていますので瞬時に放送に繋げられるということになっています。
ただ、東日本の時には大きな揺れと停電のためにカメラが壊れたというのが20いくつもありまして、今、その対応としてバッテリーを大きくするだけではなくて、太陽光や風力発電、それから燃料電池を置いて停電した場合でも使えるように、実際に進めています。
ちなみに、この管内でも霧多布や納沙布などのカメラは燃料電池を付けて、生き残りが出来るように改造しています。
ヘリコプターは東日本大震災当時の時は14機でしたが、その後、尖閣などで中国の動きなどがあって「距離の長いヘリコプターが南にも要る」ということで15機に増やしています。
この東日本の教訓としては、避難を強く促す、新技術を導入するなど、いろんな教訓がありました。特に大津波警報など津波の伝え方について、やはり変えなければいけないことでありまして、気象庁も伝え方を変えてきたということで、我々も呼びかけを変えています。その短いスポットありますのでご覧ください。
(DVD上映)
これは4年前に作ったものです。
(津波警報の報知音)
3月7日気象庁の大津波警報・津波警報が代わりました。津波の高さの予想は5段階に。地震や津波の規模がすぐに分からない場合、巨大・高いと発表し、迷い無く避難で出来るようにします。
NHKも伝え方を変えました。重要な情報が一目で分かる画面に。避難の呼びかけは大きな文字で。子供にも分かるよう平仮名でも表示します。沖合の津波の観測点、沿岸に迫る津波を捉えた時は、観測点を点滅させ、直ちに伝えます。
「命を守るため、すぐに避難。より高く、より遠くへ」。
(DVD終了)
ということで、東日本大震災の時は、正確な数値「何メートル」を出そうとして非常に時間掛かったこと。最初に6mという数字が出てしまって、その後は、停電などでテレビが見られなくて、最初の数字が頭に入ってしまって備えがおろそかになったということがあったので、細かい数字を出すよりも「巨大」などと、とにかく巨大や逃げることを率先してもらうということで表示を変えました。
さらに、NHK、「アナウンサーは非常に冷静に何でも対処する」というのが裏目に出たのではないかということがありまして、ニュースでは使わないような断定調の「来る」、「逃げること」など命令や切迫感をもって伝える「一刻も早く逃げてください」と、こういう呼びかけに変えています。
さらに、新技術の応用ということで、新しい色んな伝え方がありますので、これも短いものをご覧下さい。
(DVD上映)
これは一昨年の放送です。
三鷹市の様子です。雹(ひょう)がまるで流氷のように流れていきます。6月に、東京の三鷹市で降った雹(ひょう)の映像です。
こちらは高知県の四万十町。先月、川の水が溢れました。
いずれの映像も、NHKの動画投稿システム『スクープボックス』を通じて視聴者から寄せられたものです。スマートフォンの専用アプリを使い、インターネット経由で誰でも簡単に動画や写真を送ることが出来ます。「災害・事故・事件、いろんな場所でこのシステムが活用出来ると考えています」。
ネットに発信されている膨大なデータの中から防災に繋がる情報をいち早く選び出す取り組みも始めています。主な情報源になっているのは、ツイッターやフェイスブックです。「3年前に東日本大震災が起きた当日も、私たちはネットに流れる情報に目を配っていました。その中で救援を求める『助けて』というツイートが数多くありました」。
災害の恐れがある時は、被害を伝える投稿がないか調べます。「西側のアンダーパス、車が水没して通れなくなっています」「了解です」「引き続き画像などを探してみて」「災害があった時に多くの人がつぶやくということが、今は一般的になっていますので大災害の時はネットに流れる情報というものをもっと活かさないといけない」。
取材で得られた情報をどのように伝えていくかについても、様々な取り組みを進めています。ポイントは最先端のデジタル技術の活用です。
被害の実態を伝える現場からの中継が変わり始めています。「IP中継訓練です。東京渋谷区です」。NHKが先週行った災害報道の中継訓練です。「※※のところですが、オフィスや商店が建ち並んでいるところです」、この訓練ではカメラに取り付けたこの装置だけで中継を行いました。インターネットを経由して映像を送るIP中継装置です。小型で軽量のため、車が入れない狭い場所からでも機動的な中継が出来ます。
衛星中継車など従来の中継機材を保管する形で、IP中継装置を使っています。
(DVD終了)
今、ご紹介したIP、インターネット回線使った中継というのは主流になっております。去年3月の暴風雪の時は、うちの取材クルー、カメラマン・記者とライトマンの3人が1週間ほど知床の羅臼町に閉じ込められましたが、その時もIPの伝送装置を持って行ったので中継車も無しにずっと取材した映像を送るということが出来ました。非常に今では力を持っていますし、このiPhoneだけでも中継出来ます。今、iPhoneで中継している場合もよくあります。
次は、釧路・根室の懸案についてお話させてください。
500年周期での大きな地震と津波ということが考えられています。これも東日本の前は「マグニチュード8.6規模だ」という話だったのですが、「津波の痕跡、津波が運んでいる土砂の痕跡を調べると、この規模ではないだろう」と。ずーっと八戸から根室にかけての断層、震源域は、連動して揺れることも起こりえると想定が変わりました。東日本の後、8.6から9.1へ。そうすると、どうなるかというと、津波は30mの規模です。この規模で釧路は28mだと言われています。
もうすでに前の地震は16世紀ですので、400年以上経っているので、いつ起きてもおかしくないということです。今、釧路市でもハザードマップを作っていますが、この浸水域というのは大体、被害・避難の必要な人達は12万人です。そのまま奥に逃げて行っても、ずっと湿原ですので、高台に逃げないといけないのです。が、橋は、久寿里橋や旭橋、幣舞橋と限られます。緊急車両をどう通過させるのもありますから避難の課題というのは非常に大きいと思います。
我々は、そういう時にどのように報道していくか重要だと考えています。NHK釧路放送局でも、毎月1回はそういう地震を想定して、どういう対応を取るかというのをローカルの放送時間中に、それから全国放送に切り替わったあとどのように伝えていくか、を実際に米町公園などにIP機材を持ち出して、伝え方など訓練しています。
今後も東日本の1万8,000人の方が犠牲になったという重い事実を受け止めて、減災・防災に努めて行きたいと思います。
今日はご静聴ありがとうございました。
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