2004〜2005年度 第6回(通算2846回) 例会報告
2004.8.5
会長 久島 貞一・幹事 浅野 洋
広報・会報委員長 西村 智久
早いもので、ひと月終えました。今年は非常に暑い夏で、本州では熱中症が沢山発生していますが、
北海道でも熱中症に罹る人がいるという事で、この暑い時、水ばかり飲んでいますと体の中の塩分
が足りなくなって、脱水ということになります。それに気を付けないといけないと思います。
皆さんも決して若くない方もいらっしゃいますので、水分と一緒に塩分も補給するようにしたらよろ
しいかなと思います。今日は、高島先生にお話頂く事になっていますので楽しみにして参りましたが、
色々校歌に纏わる歴史などを聞けると思います。先生宜しくお願い致します。
1)釧路南RC 8/6(月) 夜間例会「港まつり例会(家族同伴)」キャッスルホテル 18:30〜
「RI第3590地区 青少年短期訪問ウェルカムパーティー」
2)ガバナー月信 第2号到着
「わが母校、わが校歌」〜校歌誕生エピソード
講師 釧路校歌を保存する会 代表幹事 高島秀雄氏
ロータリーの皆さんの貴重な時間に、時間を割いて頂いて本当に感謝申し上げたいと思います。
国には国歌があり国旗があります。今日の開会の冒頭で「君が代」を斉唱しました。私は大変この歌を歌ったり聴いたりする時に姿勢が正されると言いますか、ピリッとするという様な感じで私も大いに歌わせて頂きました。又、このロータリーの歌を聴いて「なかなか良い歌だな。」と、楽譜がありましたら後でお分け頂けたら嬉しいなと思っています。その様な事で国歌、国旗があり、学校には校名、校章、校歌がございます。校歌を一つ定義付けてみると、それぞれの学校の校歌は、学校の全体というものを歌で表象したものと捉えて良いと思います。その中身は、校名から導き出された教育の目標、校訓、或いは学校が立脚する地域の自然や風景、その様なものが歌詞に盛り込まれたものと一般的に言われています。端的に言えば、校歌は学校の全体を音楽でシンボライズしたもの、そして校章というのは学校全体を図形化したものと、こんな風に捉えて頂ければ良いかと思います。
さて、学校が創設されますと勿論校名が決まりますが、担当の学校の者は教育目標であるとか校訓であるとか、そして校章や校歌の制定という事に一般的には入ります。学校の校長はじめ職員、PTAや保護者の皆さんの協力の中で教育活動を進める訳ですが、その際に教育目標と校章、或いは校歌というのは一つの整合性を持って一体化しているという様な学校が、理想ではないかという様に私は思います。一つの精神が学校作りの精神が校章、或いは校歌にも貫かれていると、こういう物が期待されるのではないかと思っております。そこに2番目に校章と校歌を並べてあるのが、釧路市立緑陵中学校の校章と校歌であります。緑陵中学校の校章をご覧になって、これは何の形でしょうか?何を意味しているかというのをお解りでしょうか。部分的に解説しますと、緑陵という文字が見えます。真ん中に中学校の中という字がありますから、中学というのがはっきり解りますが、下の方に二つに八の字になって、これは松の葉だそうです。これは緑を表します。つまり緑陵であり、そして又、希望であり若さであると、この様に説明しています。そして緑の先端にある尖った部分はペンを表す、英知、学力、学習を表すという様に説明にはついております。そして、何とこの全体の形は蜂の形であります。私も多く見ましたけれども蜂の形をした校章というのは知りませんでした。この校章を意味する所が右側の校歌の第一節に「松の緑の変わらざる若き生命の満ち満ちて」というフレーズがございます。今、説明した松の葉、青春、若さ、そして第二節には「蜂のいそしみ勉めたる」ここにも蜂が出て参ります。蜂の勤勉さという事で意味付けておりますが、その蜂が校歌の歌詞にも表れている、先程言いました整合性のある一体化した校章であり、校歌であると思っております。私が感激した一つの学校の例でございます。残念ながら、ご存じの様に今年の三月、学校統合によって緑凌中学校そして校章、校歌が消え去ったところでございます。
さて、その様に学校の創造に関わって校歌の制定についても色々な苦労がございます。その中でいくつか紹介します。ひとつは校歌を作って頂いたがお金が無いので秋鮭3〜4本で勘弁してもらったという話があります。これ本当なのです。昭和30年6月に制定された新川小学校のエピソードであります。本当に秋鮭3〜4本で校歌が出来たという事で私も半信半疑でありましたが、何と昭和28年に日進小学校の校歌が出来た時にも作詞作曲者に秋鮭で作ってもらったという話が残っています。今時では、ちょっと考えられない話ではないかと思います。次は昭和38年に誕生した朝陽小学校の校歌でございます。この校歌の歌詞は公募という事にしました。父母、保護者、そして地域の方から49件の歌詞が集まったと言われています。それを先生方が選考委員会を開いて、準々決勝、準決勝、決勝という様に決めて出来たもの。この審査は匿名にして行いましたが、決まった時に誰が作ったのだとなって、出てきたのが第二代校長の田中先生の作品でした。初代校長の高野先生が校章、校旗を作った、これは二代目の「俺は校歌を作るんだ」という思いで素晴らしい歌詞を作り先生は匿名で応募したという、その校長の思いが私は何か解る様な気がする訳であります。さて作曲はといいますと、根室出身の“ここに幸あり”という曲を作った大作曲家の飯田三郎先生でありますが、根室と釧路の関係で先生にお願いするという事で、大変なご苦労をしながら出来た校歌であります。さて、開校が明治34年でありながら70年間校歌が無かったという学校があります。日進小学校よりも古い、あの海辺の桂恋小学校です。当時昭和45年に赴任した平野教頭が「70年の歴史があるのに校歌が無いのは非常に残念である。何とか70年記念に作りたい。」という事です。次に戦中、昭和20年、或いは昭和22年の新しい制度の前の教育の成り立ち、しくみの中では校歌が出来ますと勝手に歌えない、必ず市から北海道庁を通して文部省の認可を受けなければいけないと、こういうお達しがありました。そこにある校歌は北原白秋、山田耕作という2大作家による旭小学校の校歌であります。この校歌が多分、文部省の検定に掛かったと思いますが、なかなか許可がおりない、1年、2年たってもおりないので、どうしたのだろうかと人を使わせてやってみたら、「鐘鳴るらららんらららん、羽ばたけらららんらららん」、その「らららんらららん」という歌詞が意味不明であると、よってこれは認可しないと。但し、罰則は無かった様です。それで当時の二代校長伊藤先生が「大変な大家の校歌だから大いに歌いたまえ。」と、あの時代にそういう骨のある校長がいたかと私は感じましたが、そういう事で認可を受けないままに旭小学校は昭和6年の10月以来、実に今迄70数年そのまま歌っています。何故、北原白秋、山田耕作と著名な方が旭小学校の校歌を作ったんだろうというと、ちょうど学校が大正9年に15周年記念校歌を作ろうという事になり、お金を集めて、「この際だから素晴らしい先生に作ってもらおう。」と言った時に名前が出た、とんでもない話ですが、先生達から出たのです。それで、たまたま北原白秋の秘書という方を厚誼にしている先生がいらして、その伝手でこの二代大家による校歌が出来たという事です。ならば、いくらかかったかと、秋鮭3〜4本ではないでしょう。当時のお金で500円、この500円というお金が何処から出てきたのか。多分、旭の保護者の方がそれぞれ寄付をなさって集められて作ったのではないか。大変な額で出来上がったという様に言われています。この「らららんらららん」というフレーズが文部省では駄目だという事ですが、私個人の考えでは、そうじゃない。特に“旭、旭”という所から始まると新しいリズム、スキップのリズムですが、これは正しく新しい感覚なのですね。昔の校歌は四拍子の行進曲調の堅い感じですが、多分私はそういう新しさ、これは新しすぎた、つまり文部省の皆さんにはちょっと理解の枠外だったのではないかと感じています。最後に、この旭小学校の校歌は昭和6年に出来たものですから、当時は釧路第四尋常高等小学校という名前でした。ですから、“旭、旭”のところは“第四、第四”という風に歌っていましたが、昭和9年に旭尋常高等学校に変わりましたから、旭という言葉に変わっています。この校歌には1番には阿寒、2番には雪より白き雛鶴、3番には踊りてしぶく北海と、地域の風景がございます。この地域の風景は釧路の43校の校歌を見ると歌詞の中に出てくる地域の風景の御三家、大体お解りだと思いますが、阿寒、丹頂、太平洋、校歌に頻繁に出ています。その次が、湿原、霧とか或いは北極星とかです。変わった所では、黒ダイヤ。これは桜ヶ岡小学校の校歌ですね。ちょうど昭和30年代の素晴らしい、炭坑の隆盛の時に“掘り出せ、掘り出せ黒ダイヤ”という一節がございます。私も桜ヶ岡にいましたので、今思えば懐かしく思います。先程ご紹介頂いた冊子を何人かにお分けしましたが、その中で冊子を読まれた旭小学校卒業生のAさんにこんなメッセージを頂きました。「旭小学校の校歌を何十年ぶりかで拝見しました。懐かしさのあまり、思わず歌い始めました。すると義父が、突然俺も歌えると言って歌ったのです。でも少し違うのです。歌の途中で第四、第四という風になるのです。大正生まれの義父にはあくまでも第四なのですね。私も第四と読み上げて一緒に歌いました。お陰様で楽しい時間を持てて幸せな気分になりました。」こんなコメントを頂戴しています。その70年間歌い次がれた名歌の旭小学校も今のところ、平成19年3月を持って90年の歴史を終える事になります。私は歴史と伝統に育まれて、そして長きに渡って歌い次がれた校歌が時空を越えて皆さんの私達の胸に甦ってくる、その時にオンリーワンの自分の歌としていつでも歌い、そして色々な思い出に浸り、これからの子供達の事を考える、こんな思いを持ち続けたいなと思っています。ご静聴有り難うございました。
8月12日 休 会
8月19日「素敵なロータリアンになる為に」
講師 東京向島料亭「きよし」 女将 小林 綾子様
青木 一晃 | はしご酒大会よろしく |
白幡 博 | 一位でごめん |
中井 理文 | 楽しいビールーパーティーありがとうございました |
藤井 正信 | 〃 |
浅川 了一 | 〃 |
本間 榮一 | 〃 |
田中 正己 | 〃 |
滝越 康雄 | 〃 |
久島 貞一 | 〃 |
川合 隆俊 | 〃 |
松並 弘宣 | 〃 |
西村 智久 | 〃 |
栗林 延次 | なんとなく |
工藤 彦夫 | ビールパーティー参加ありがとうございました |
本日合計 | 本年度累計 |
47,000円 | 242,000円 |
日時 | 会員数 | 出席率 |
7月29日 | 100名 | 54.5% |