2004〜2005年度 第17回(通算2857回) 例会報告

2004.11.4


会長 久島 貞一・幹事 浅野  洋

広報・会報委員長 西村 智久




  久島 貞一 会長

皆さんこんにちは。この頃台風が来たり地震が来たりイラクの人質が捕まってしまったり、何か目まぐるしく世の中が動いているという気がします。プロ野球は楽天に決まりましたし、アメリカの大統領はブッシュに決まりました。何か目まぐるしく世の中が変わっていくのだと思っております。この様な時こそロータリーの4つのテストに心を照らし合わせて行動すれば良い結果が出るのかと思っております。先程も幹事の方から今日の例会の趣旨をお話ししたと思いますけれども、今日はNHKと北海道新聞、両者に当クラブの会員がいらっしゃいますのでその方達を通して、当クラブからのお見舞い金を少額ではありますがお渡ししたいと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。


 


  1)ロータリーの友  11月号到着
  2)ガバナー月信   第5号到着


文化の秋 「蔵の話」 

講師 中野 吉次 様

   中野 吉次 講師

今日は釧路ロータリークラブの皆さんの前でお話ししますけれども、何せ私は勉強が嫌いな男ですから。まず私の事をお話しします。私は昭和20年10月22日秋田県仙北郡西木村で生まれました。あまりにも山奥で時代が止まっているような村でした。6人兄弟で4番目という事で、男の末っ子なのです。それで下に妹が2人いますけれども、家が貧乏なおかげで何をしても良い、勉強をしなくても良い、遊びに行っても良い、帰って来なくても良いという家族でした。学校はほとんど行っておりません。テストはいつも0点です。先生の事を考えたら、私が書くとどうしても先生は考えてしまうので、合っているか間違っているか考えない、どうせなら何も考えないで出した方が先生もずっと楽だと思って、そうすると先生はすぐ0点をポンポンと、ノートも本も何も無かったから、通信簿はそれでもくれたのですけれども、通信簿はいつも1、2、1、2という具合でした。それで学級では1番頭がパーでした。
 また私の生まれた所の近くには角館という武家屋敷があります。とても桜の綺麗な所です。皆さん知っている人は知っている、知らない人は知らないかもしれませんが、皆さんがおそらく知っている人では演歌の女の方、藤あや子さん、綺麗です。あの方が生まれた所です。私も晩酌の時は演歌の藤あや子の事をテレビで見ていると、じっと2人で見ていると何か自分に惚れているのかと思ってしまって、そばにうちの母ちゃんが居ると何かがっくりしてしまって、「父ちゃんどこ見ているの?」と言われてしまって、秋田の彼女の事を思っているのですと話したら、「あんた帰った方が良いのでは?」と言われてしまって。男だったら一度は角館という所に行って見て下さい。さて、もう一つの有名な所は田沢湖という日本一深い湖があります。深さが
423mという日本で1番深い湖です。格好は何も良くないです。ただ丸いというだけです。世界で1番深いのはバイカル湖、深さが1,741m、1番深い湖です。秋田県では昔はもう1つの湖がありました。それは1番広い湖です。それは八郎潟という湖です。30年頃埋め立てられたのです。今は水田地になっています。もしあの八郎潟が埋め立てられなかったら今の男鹿半島は秋田県では意1番の観光地になっていたのではないかと私は思っております。その埋め立てられたおかげで田沢湖が凄く観光客が多くなりました。
 釧路でもそうです。釧路の街の真ん中に春採湖があります。昭和40年頃に私の頭の中に入っている、あの春採湖、少し汚れているのです。汚い湖で、あれは埋めてそこに団地を造ろう、公住を建てようという噂が流れました。今になればやはり埋め立てられなくて良かったと私は思っております。春採湖は良いです。歩いている人とか走っている人、犬と散歩している人も沢山おります。少し犬の散歩のマナーが悪いですけれども。沢山の糞、犬の毛を沢山散らかして私もがっかりします。春採湖は昔と比べて綺麗になりました。昔はアベックの場所、今の春採湖は憩いの場所に変わりました。今毎日の様に沢山の方が、暖かい日は散歩したり、楽しんでおります。その様な春採湖に公住などの住宅を建てたら、地震の多い街なので大変な事になっていたのではと思っております。私としては自然のものを埋めたり、壊したりするともう2度とは戻ってこないと思います。人口の問題でもそうですし、日本の人口もこれから少なくなっていくのですから。釧路もそうです。昭和50年の頃は25万都市になるとか、60年度までには30万都市、旭川を抜こうと、その様な景気の良い時代がありました。魚も採って、魚の愛する場所まで取ってしまいました。いくら広い海でも魚は居なくなるのです。人間が悪いといえば悪いのでしょうけれども。それは人間の欲だったのかも分かりません。そして魚を採りすぎたから釧路の街、道路までが魚だらけになって、後から来た車がその魚を踏んで街全体が魚のにおいがする風景がありました。また石炭も同じです。いくら採れるからと言っても冬になると窓を開けてルンペンを2つも焚く、どんどん燃やして、自分はこの様な時代がいつまでつづくかと思いました。何しろ自分は貧乏な生活をしておりましたから、その様な事が目に付くのです。私の家は貧乏なお陰で冬の暖房は山へ行って山の板だけでひと冬超すのです。釧路は凄いと来たときはびっくりしました。今になって人口も減って、18万都市になりました。私が思うには釧路の人口はまだまだ少なくなると思います。これからどうしますか、この釧路。魚も獲りすぎて、石炭も終わって、この街に後は観光しかないと思っています。会の皆さんでお話しをして1日も早く、良い釧路を創って下さい。まだまだ釧路は良いです。近くには世界の知床があって、世界で有名な摩周湖があって、そして阿寒国立公園があって、こんなに沢山の自然がある所が日本中にありますか? もしあったら教えて下さい。これから北大通の事、街の中の事ですけれども、北大通はどうしますか。日本の有名な幣舞橋はどうしますか。1番大事なのは釧路の発祥地、米町、大町、南大通、これをきちんとすれば、まだまだ釧路には全国から観光客が来ると思います。どう作るかが問題です。まず自分としては古い町並みを1つでも残す、古い町並みと家を大事にしなくては駄目だと思います。角館もそうです。角館もたった3棟の古い家を残したお陰で今でも全国からわんさわんさと観光客がくるのですから。やはり釧路でもそうです。やはり残さなくてはならないのです。そういう訳で私も蔵を買った訳です。古いものを壊すのは駄目なのです。皆さんも釧路ももし米町、大町、南大通が釧路の昔のままでしたらどう思いますか。多分
北海道一の観光地になっていたのでは無いでしょうか。赤線の跡、お寺、狭い道路、小さな店、良いですね。この釧路の発祥地を無くしてしまったのです。また道路まで広げ、道路は綺麗にしたけれども人で言えば女の着物姿に靴はハイヒールという様なものです。どうでしょうか、この様な釧路の街、どこにありますか。最後に怒られるかも知れないのですが、私は昨年大町6丁目に佐々木米太郎さんという90年前の蔵を、全財産を出して買った馬鹿な男です。自分は何十年前からこの蔵が欲しかったのです。そしてこの蔵に自分が30年前から釧路のゴミを集めたものを入れる為に買ったのです。趣味の無い人は私の事をゴミ集めのじじいとか、またよろず屋のじじとか言われますが、私にとってはひとつ一つ思い出のあるゴミなのです。あれはゴミでは無くて、やはり釧路の資料と私は思っております。あれだけ集めるのに30年掛かりました。このゴミは約5万点位あります。今でも家の中はゴミだらけ、ゴミと一緒に30年過ごしました。自分の今までの生活は日曜日になると朝早く、そして遠くまでゴミを集めに行きます。そして晩は遅くまで帰ってこないのです。家に早く帰ってきたら母ちゃんに怒られるから、だからなるべく夜中にこっそり帰ってくるのです。今思えば家庭や子供の事は何もかまいませんでした。時には喧嘩もしました。せっかく集めたものもゴミに出された事もありました。変な話ですが、こんな女房と別れたいと思いました。だけれども私はものとは分かれたく無かったのです。その方が自分にとっては良いと思います。ですがその母ちゃんが未だに出て行かないのは私にしてはがっかりしています。それは私には古いものと分かれたら私にとっては大変な事なのです。いくら探しても古いものは2つありません。蔵も同じなのです。もしあの蔵が無くなっていたら、もう2度とこの日本では建てる事は出来ないのです。いくらお金があっても。何百億あってもあの蔵は絶対に無理だと私は思います。私はこの蔵を大事にして日本の子供達の為に、そしてあのボロボロの蔵をこれから何十年掛けて日本一の蔵にする事です。さて皆さん、これから釧路の観光をどの様に作ったら良いでしょうか。私の考えはまず釧路駅から出るノロッコは良いです。今も走っています。そして冬はSL、最高です。また大町、米町、南大通に残っているもの、古いものを1つでも多く残したいです。もう1つはこれから消える太平洋炭礦の跡、私は臨港鉄道をまた走らせると良いと思います。今は貨物ですけれども、今度は客車として。それも今構内に使っているトロッコを使って。良いと思います。入船駅から春採駅まで、途中知人岬、千代の浦海岸、春採湖、そして春採駅まで、そこで日本で最後まで残った炭礦の選炭場を見学させる。まずそれには臨港鉄道を残す事が先決です。そして選炭場を石炭の資料館にする事です。冬は屋根付き、またたまには石炭貨物と一緒に走らせると良いと思います。これが出来たら北海道一、いや日本一の観光地に必ずなると思います。札幌とか小樽、函館何かは問題にならないと思います。観光客も必ず釧路に泊まる。そして夜は釧路川の川沿いで沢山釧路の魚を食べて、沢山お酒を飲んで、それも釧路のものでその場所はどこかと言うと大町とか入船、末広も良いですけれど、大町とか入船、大川町あたり、そして春採の炭礦の辺りで一杯飲んだら最高だと思います。そして釧路の夜景を見ながら、本当に最高のロマンチックな風景になると思います。皆さんもこれが実現されたら多分30歳から40歳は若くなると思います。今からその相手は誰にしようかと心の中で思っていると思いますが、もしその相手が彼女でしたらどうしますか。いまから胸がどきどきします。そして『釧路の夜』を心の中で歌いながら、釧路の夜景を見ながら、良いです。この様な釧路になれば1度来たら今度は必ず好きな女と来ると思います。今日は本当にありがとうございました。

釧路市大町の築約90年の土蔵を市民手づくりの博物館として再生しようと有志が運動を進めてきた「洲崎町なつかし館『蔵』」が5月2日、仮オープンする。30年余り前から明治、大正、昭和の雑貨の収集を続け、その集大成として「蔵」の開設を進めてきた市内在住の中野吉次さん(58)は、「生涯の夢がかなう」と、土壁の重い扉が開く日を誰よりも待つ。中野さんは、左官業を営む傍ら、30年余り前から釧路の郷土史を語る生活雑貨のコレクションを始め、1989年には、市内材木町に親友の鈴木清さん(58)と私設史料館「なつかし館」を開設。一方で、古い建物を保存しながら活用する博物館の開設を夢にし続け、昨年、1915年建設の、旧佐々木米太郎商店が使用していた土蔵をついに私財で購入した。追って、中野さんの夢を市民活動につなげようと有志が「洲崎町なつかし館『蔵』を再生させる会」(高橋忠一会長)を設立。土壁の補修や、PRのための展示会なども市民参加で行い、準備を進めてきた。
 蔵には中野さんのコレクション約2万点をはじめ、佐々木商店の所蔵品なども展示される。すでに飾られた、「佐々木米太郎商店」と書かれた当時のままの看板は、郷土史料としてもかなり貴重品だ。2日は午前10時から午後3時まで入場可。当面は毎週日曜のみ開館。入場無料。問い合わせは418181斉藤さんへ。


 

       「読書の秋 情報集会報告 」(ロータリー情報委員会担当)
    
                 


吉田 潤司 弓道、やっと初段になりました。
福田 義雄 体調もほぼ回復しました。
矢澤 武彦 末広の彼女が・・・
花輪 隆一 ナユタで準優勝しました。
川澄 重雄 新入会員歓迎会で商品を頂きました。
高田 智康
日向 正明
野村 幸雄
田中 武司
石田 博司
伊貝 正志
山谷 賢量
舟木  博
西村 智久
小船井修一
吉竹 俊道
石井 良幸
栗林 延次

本日合計 本年度累計
39,000円 733,000円


日時 会員数 出席率
10月 28日 100名 72.7%