2004〜2005年度 第33回(通算2873回) 例会報告

2005. 3. 10


会長 久島 貞一・幹事 浅野  洋

広報・会報委員長 西村 智久





     久島 貞一 会長

今週日曜日、帯広ロータリークラブの70周年記念という事でうちのメンバー20人と一緒に帯広の方に行って参りました。非常に立派な、記念の会でした。特に山形由美さんのフルートが素敵で、途中で席を立つ気がしない程素敵で良い演奏を聴かせて頂いて、普通僕はすぐに出たくなる方なのですけれども、最後まできちんと終わりまで聴いてきました。あの様な企画は非常に良いと感じて参りました。そしてまた消防の指揮車を消防の方に寄付をするという事で消防の方や市長さんがいらしていたのですけれども、立派な消防指揮車の贈呈式を行っていました。その他市立の図書館が新しく出来るという事で図書の充実の為に寄付をなさったという事で、大変素晴らしい活動をしていると思って参りましたけれども、再来年うちの方で青田さんの会長年度に70周年記念を迎える訳ですけれども、あれはあれで素晴らしかったですけれども、また釧路は釧路らしい企画を皆で力を合わせてしていければ良いかと感じて参りました。それから今朝の新聞で見たのですけれども、武修館高校で先日うちの奨学生としてここに参りました中井陽介君が見事に北大の方の水産学部に合格致しました。大変嬉しい気持ちで新聞を見ていたのですけれども、良かったと、皆の善意が少しは通じているのではという気がしていました。石川麻倫さんについては合格者名簿が新聞に出ませんので分からないのですけれども、とにかく中井君が一生懸命頑張ってもらえたと、今日は非常に良い日だという事でメンバーの方にお伝えしたいと思いました。

 



 


1)釧路南RC  3/11 (金) 夜間例会「パイ・ウニラさん送別会」ぱらだいすかふぇ 18:30〜



              「最近の地震活動について」
            釧路地方気象台長 小原 義廣 氏 
           

小原 義廣 氏

 
簡単に業務というか今まで携わってきた事をご説明します。実は途中から観測の方に逃げ出した様な形になって気象庁では少しおかしいのですが、ずっと地震が長いです。いわゆる南西沖地震、それから釧路の震度6、それから宮城県沖、そして阪神大震災の時は津波監視課で補佐官をしておりました。私自身は実は西宮の生まれでその時も友達を2名、友達というのですか中学時代、高校時代の友達が2名亡くなっております。その様な状況で津波監視課から地震火山部の管理課という所にまた行って、そこから気象研究所に研究室長で出まして、少し色々考える所があって観測に行かせて欲しいという事で観測部に、少し横にそれていったという状況です。その様な状況の中にあって何の事か、地震から離れられたと思って喜んでいたのですけれども、皆さんもご存じの様に十勝沖と釧路と何か地震から離れたのに地震が起こりますので、何か私が引っ張ってきた様な事もちらっと言われたりしまして、その様な事は無いのだと言いながらも、その様な状況です。実は地震が非常に、専門が何なのだと言われたら、本当は工学系統なので通信工学なのですけれども、工学なのですが気象庁に入った時に地震課という所がありまして、まだ32、3名の小さな課で、それは観測部の中の小さな課だったのですが、それが非常に大きくなって今では地震火山部という事で4課体制を取っております。その発展してきた所を全部見て来て、それから今インドネシアの方の津波の方何かもどの様な仕方でしたら良いのかと自分なりに少し頭の中で考えてみたりはしているのですけれども、何ともどうしようもないのですが、津波報を、地震関係の中では火山課というのがあります。それから地震予知情報課というのがあります。地震予知情報課というのは東海地震がらみです。それから津波監視課というのがあります。地震津波監視課、これが現在地震活動を監視したり、津波報をしたり、その様な事をしている課です。火山課はもちろん火山の事をしています。その様な事で、今日どの様な訳か地震についてのお話しをして下さいという事を頂きまして、非常に、何となく戸惑いもあるのですが、実は今お話ししましたように、地震から逃れよう逃れようとして無理矢理頭の中から地震をはずそうとしています。その様な関係から実ははっきりと言って現在の新しい検討状況というものが余り把握されておりません。ですから話の中は古い話から中心に、それから自分自身が北海道南西沖、奥尻の津波の時にどの様な対応を取ってきたのかというのを含めて、それから阪神大震災の時も津波監視官でおりました。あの時の状況をそれらを含めながら、気象庁というのは一体どの様な事を地震に対して起こった時に対応し、どの様な事柄をしているのかというものも混ぜながら、少し色々と自分の過去の経験を思い出しながらお話しをしていきたいと思います。少し資料をお配りしておりますが、見て頂きたいのですが、これは1926年という、昔は地震計というのはほとんど無く気象観測所だけにしか置いておりませんでした。その為に地震が起こると気象観所の職員がわざわざPとかSとか言うと分かりにくいでしょうけれども、とにかく地震波形から色々なデータを読み取ってそれを電報で送って、そして電報を受け取ってそれで津波報をしていたという事ですから、かなり14、5分ですとかひどい時には20分という形で遅れて出すという様な状況だったのです。ところが1995年皆様方ご存じの阪神大震災なのですけれども、その前から少し整備をされ始めていたのですが、奥尻の地震で地震計を完全自動化という形にして奥尻の地震の時にほとんど整備をした状況です。ただ大学等はそれぞれ整備をしておりますので、そのデータはまだ入ってきていないという状況です。1995年阪神大震災以降に一元化システムという大学等のデータもすべて皆気象庁に集めて処理をしようという事で、それがありますので1995年以降、少しずれていますけれども1995年以降については大学のデータ、気象庁のデータを含めた形で全部を処理して今この様にしていると。ですから見て頂きまして1ページ目は旧ネットというのですか、余りデータがそんなに多くない状況、それから2ページ目はばっちり大学のデータも入っていると、ですからこれを見て頂きましたら共にM4以上にしております。大学のデータが入りますともっと小さな、全然人が感じない様な、極端な事を言ったら0近くの様なものも全部決まるような状態になっているものですから、めちゃめちゃ真っ赤になってしまうのです。真っ赤になってしまうと仕方ありませんので4くらいになると、長野県ある小さな村でMが4.5くらいのものが起こったのです。M.5といったら小さいですから皆さん余り大した事はないだろうと思われるのですが、実は非常に浅くて学校の講堂の屋根がどさっと落ちてしまって、あれが4.5ちょっとという、丁度12月の下旬位で雪が非常が多い時で、その様なものです。ですからM4だからといって余りなめているとその様な状況になりますと、雪の重みも多分あってそれで落ちたのでしょうけれども、その様な意味でM4以上を取り上げて、M4というのはこれ位のものだと。釧路辺りは見て頂きましたら分かりますように、2ページ目の下の図を見て頂きましたら、大体潜り込んでいます。太平洋プレートがアジアプレート、あるいは北米プレートと言われる所に潜り込んでいます。ですから釧路辺りでまさに地震というのはなかなか大きな地震というのは想定されないのですけれども、段差がありますからその段差が起これば分かりません。それともう一つ、北海道は昔のデータが余りありません。その為に色々な活断層調査を大学、あるいは科学技術庁、昔は科学技術庁、今で言えば文部科学省の調査委員会がしています。その様なもので追々、活断層調査で過去にどの位のものが起こったというのがあちこちで出てくるかと思いますが、今の所はその断層が起これば別にして、海溝を中心に準備をしていきたいとその様に思っております。それで実はここ釧路で震度6というのが1回あったと思うのですが、その時も大体深さは107kmです。丁度その時津波監視課にいまして津波無しという、107kmであればそれほど、ぎりぎりなのですけれども100km前後になりますから断層が上まで出てくる事はないという事で津波無しというのを出してそれが成功した状態です。その時は7分で出しているのですがその様な状況を起こしております。ここで皆さん方が1番心配なのが過去はどうなのだという事です。何かそろそろ活動が来た為に起こり始めたのか何かよく分からないのですが、活動は始まっているみたいです。北大の先生方もちらちらと言っておられますが3枚目を見て頂きまして、この赤の点線は4枚目も見ながら4枚目の赤の点線部分を見ながら実は書いていないのです。何故書いていないかと言いましたら、私が持っています津波の災害総覧というものの中にはほとんど載っていないのです。というのはやはりデータが無いのです。その為に阿寒については余り触れないと、この様な地震が起こっているという、ここもこれだけよく大学の先生方は調査されて見張られているのですが、なかなか本州とか西の方と違ってデータが余り無いので、かなり北大の先生方は苦労されているかとその様に思います。ここでグリーンの色です。グリーンの色を見て頂きましたら大体この様な感じでどうも起こっているみたいだと、ところが最近少し新しいものを見ましたらどうもこのグリーンの域をずれ込んだりなにやら少し領域をABCDまで分けていますけれどもこの領域を少し変えて、大幅に変えている訳では無いのですが変えてこの様な状況ですという様なものが出てきそうな感じといいますか、出てきているのです。まだ公にはちょっと、どこからか漏れては来ているのでしょうけれども、はっきりこうだというのはまだ出ていないと思います。これは一応参考程度にはこれが1番頭の中に入れられて今後どの様な所に起こりそうかという様な事柄が何となく分かるのではないかと、そうするとまずA領域、A領域という領域は今の所は置いておきまして、こちらに非常に大きな影響を及ぼしているのですがB領域について昨年、一昨年に起こりまして次のページを見て頂きまして、B領域の所というのはその前の十勝沖地震の時の津波の大きさだけを、実はインドネシアがありましたので津波に皆さん一番関心があるだろうと、しんがい(震害?)はもちろんあるのですけれども、私自身は西宮をよく知っています。もちろん住んで育ってきた所ですから、向こうの家の状況は非常に重いと、家そのものが非常に重い、土塀の様な感じになっています。塀なにかが土の様な形、それから屋根は屋根瓦、あの重たいものが乗っています。何故かといったら地震何か誰も起こると思っていなかったのです。阪神は。私も含めて地震津波監視課におりながらそう感じていたのです。ところがこちら側は家の状況を少し見せて頂いたりしているのですけれども、やはり良いです。こちらは。対策が非常に取られている。ですから震害が確かにあるのですが、中がやられる可能性があります。家の中がです。家そのものがつぶれるというのは釧路ではあまり想定する必要が無いのかと思いながら、多分家の中が非常に大きな揺れがあって、それで中で何も固定してなかったり何やかにやしているとそれがばたばた倒れて大きな被害になって、中で人間がそのものの下敷きになったり、あるいはあわてて、あわてますから人間は。あわてて裸足のまま逃げてガラスを踏んだりという様な事柄があるかも知れませんが、家がつぶれる様な家は、話は少し飛びますが私うろうろするのが好きなので、釧路の中をあちこちうろうろしておりますが、家そのものはそんなに向こうの西宮の様な家というのはまず見かけられません。ですから家がつぶれる事はまず無いと思って、十勝沖地震の時にも見てみたら余り被害らしき、失礼な話なのですけれども被害は確かにあったのですが、余りにも大きいものを見ていますので、実はまた少し話が飛びましてその時阪神大震災の時は11月くらいにある所で非常に小さな地震が起こり始めました。私は大阪の人間ですから状況は良く分かっております。では何故あんな所で地震が起こるのだという事で現地は非常に感じていると、マグニチュード2、3何かが起こっている、マグニチュード2、3と言ったら普通人は感じないのですがすぐ近くで起こり、浅い所で起こるとやはり1、2の地震を体に感じますから、それでこれはやばいのではないかと。やばいのではないかというのはどの様な意味かと、その辺で少し大きな6クラスが起こるかとその様に津波監視課で言いまして、それでは機動でも送ろうではないかと機動を送って、機動を送るというのはどの様な事かと言いますと、地震計を持って行って、今は大学のデータがたくさんありますから、その様なあほな事はする必要が無い、あほなことではないのですけれどもその様な事をする必要が無いのですが、当時は何も、あまりネットが無くてどうしても荒い状態ですから、震源がきちんと決まらないのです。その為に地震計を持って行ってその近くに置いてそれで決めようという、そういう為に余り危機意識は、はっきり言うと無かったです。それでいこうという事で一応は表向きもありまして地震が起これば気象庁は機動を送らないという様な意味もありましたので、その様な意味合いもありまして送りました。それでしばらく観測していたのですけれども、やがて落ち着いてしまったのです。それで1月の頭くらいから地震が起こらなくなりました。それで収まったなと思ってしまったのです。地震火山部の中でも収まったのではないかと、今までの色々な機動を出してきて、群発地震が、群発だったのですけれども、群発地震が起こると群発というのは色々な地震がたくさん起こる事だと思って頂いて、たくさん地震がおこるのですけれどもある程度来ると、観測してから1、2ヶ月経つと大体収まってくるのです。それで群発というのは規模は大体そんなに大きくはありません。4から5くらいの、ここで書いている4よりも若干大きい程度のものがぽこぽこ起こりながら小さな地震がたくさん起こってという様な状態が続いているのですが、それすらも起こっていなかったのですが、ですから活動としては現地は揺れているけれども活動としては大したことないという、本当は地震部に居りながらその様な事を考えては駄目なのです。だからどこかの形で本当は警告なり何なりをするように部長何かに進言すべきだったのでしょうけれども、その様に私自身が津波課の中でも余り危機は無かったという事で、それでしばらく地震が起こらない、ああ良かったと。ところが皆さんご存じの様な状態になったという、そうするともうてんやわんやです。地震火山部の中がてんやわんやな状態になったというのが忘れられないです。それであれは震害で、震害はあれなのですけれども、釧路であれが起こったら、人口という問題もあるのですが、家の被害はそれほどないかと思います。確かに揺れで、ガル数で言えばすごいガル、1000ガルくらい出たりして、JRの方は多分分かるだろうと思うのですが、その様な状態ではあったのですが条件が色々ありますから、六甲山があってそこに軟弱があって、そこに反射して、どの盤とか増幅してどうのこうのという様なものがあった為というのもあるのですが、釧路で起こった場合にはそんなにならないかという感じはしております。その為に震害よりもむしろ津波だろうと。皆さん方は。ところが釧路からこの辺りは釣り人を除いて余りこの辺で泳ぐという事が無いのです。1番心配なのが夏に皆さん海水浴に行かれた時に泳いでいるという状態です。今回の様なインドネシアの様な所で観光客が来て、海の所へ色々と出て、その様な状態の時に地震が起こるともうこちらは冷や冷やするのですが、その様な事が余りこちらでは無い、1番の心配はやはり釣り人かという事は感じているので、余り津波もと思ったのですが1番今インドネシアの関係で津波が1番注目されておりますので津波をこの様な形で掲げました。それで十勝沖で最後のページを見て頂きましたら、最後のページと2枚目を見て頂きまして、最後から2枚目です。十勝沖地震が起こりました。1952年に起こって、ほぼ同じ様な所で一昨年に起こっております。それでしばらくしてどの様な状況なのかと見てみましたら、余震という形もあるのでしょうけれどもまた釧路沖で色々起こっております。何か一連の活動がまたそろそろ始まったかと、この辺りです。そうすると北大の先生方がこれを見直されて領域を少し変えておられます。変えておられるという事は例えばB領域を見て頂きまして、B領域で断層が走ったとします、これは距離的にどのくらいか分からないのですが例えばC領域まで組み込んで根室の辺りくらいまでが1つという感じで割れ込むという様な事になると、これは少し過去のこのデータは余り役に立たないのです。ところが大体地震というのは東海でもそうなのですけれども、東海でもそうですし南海、それから東海地震からあの辺一帯太平洋側一帯というのは同じ様な形で起こっております。あの全部が割れるという様な事柄は無いと、インドネシアのは多分かなり走りました。1000km以上走っているのでしょう。ですからチリの時何かも1000km以上走っていますから、いわゆる走るというのはどういう事かと言いますと、断層がそれだけ割れていくという事なのです。ざっと割れていって、そして沈んでいくのと逆ですから、沈んでいって沈みながら割れていくと、そうすると海が下がっていって、下がるというのはどの様な事かと言いますとそこに水が入り込みますから海で見ていたら逃げるのですから当然引かれると、引くだけではないですけれども、上がってくると今度は逃げていくのですけれども、その様な形でざっと海に割れ込んでしまって、海底が下がってしまったのでしょう。ずっと下がっていっているのです。下がっていっているから結局は海の水がそこに流れ込んで、そして海が引いていくという状態が起こっています。そういう様な事柄はなかなかここの辺りではあれほどの大きなものは想定されないのではないかと思っております。私には昔は地震だったのですけれども、今現在のはしていませんが、地震工学、地震関係のあれというのはそんなにめちゃめちゃ進みません。今進んでいるのは何が進んでいるのかと言いますと、処理関係なのです。この電子工学なのですけれども、処理がもの凄く進んでいるのです。ですからいわゆるGPSの問題にしてもそうですし、その他測器類が色々精度が良くなってきたという事で、そのデータの処理を、処理の仕方というのがもの凄く進んでいます。ですから地震物理学的な意味での地震についてはそんなに進んでいると思わないのですが、その様な意味で色々なものが見えてきているのは確かなのですが、それほど大きな違いはないだろうと、、次は大体どの辺りで起こりそうなのかというのは、それは誰にも分かりません。2年くらいになると根室沖が起こるのではないかというのがちらちらと私の所にも入ってきております。ですがそれは根拠が本当にあるのかというのが、私自身のあれで、北大の先生方が第3者を通してC辺りくらいで少し大きなのが起こるという様なものが入ってきております。その為に今年の辞令でこちらに来いと地震関係の人を引っ張ろうとしたら、あそこは嫌だ、2年後ぐらいになったら地震が起こるから嫌だと言って来ない人がおりまして、その様な事柄でCが起こるのかと私もデータをずっと見ていませんのでそう言われてみるとそうかなと思っても、ではCの辺りは一体過去にどの様なのが起こったのだといったら1973年のものを見て頂きましたら、これより大きな地震が起こった場合は少しあれなのですけれども、それでも1952年の8クラスを見た場合、これと比較して頂ければ良いのではないかと思います。それほど大きな違いは無いのでしょうけれども、そうするともしCに次が起こるとなりましたら、73年、花咲で大体2.5、規模で7.4、7.5、7.9というのが1894年と書いてあります。7.9というのは関東大震災が7.9です。7.4というのは阪神大震災より大きいです。7.1か2でしたから。阪神大震災は。でも7.1か2、7.4というのは、これは実は誤差の範囲という事です。というのは地震関係については下のものまで非常に細かく分かっている訳ではございませんので、そこで誤差というものがあって、色々計算しなければならないのですけれども、それはある程度仮定をしたりあるいは推測をしていたりしますけれども、かなり誤差がある事はあります。ですから7.4だ7.3だとよく報道関係の方につつかれるのですけれども、そんなものでつついてくれるなといつも思っていました。そんなものより元のデータそのものが非常に誤差があるので、7.3だろうと7.4であろうとどうなのだという様な事柄を思いながら、ですから大体7.5くらいがこの辺で起こると、そうした場合大体花咲で2.5m以上とこう書いてあるのですけれども、実は分からないのです。実は花咲でもう少し高いのが来ているかも分かりません。2.5m、あるいは1952年の厚岸6.5m、それからこの辺のデータが色々ごちゃごちゃして本当に6.5mの波が来たのか、花咲で2.5mの波が来たのかというのが少しデータではなかなか分からないのです。何故分からないかと言うと、調査が古文書等で見た結果をそのままいわゆる西の方は脱するのですけれども、そういう場合は波がその高さまで来ているものを出しているのです。それを津波の高さという形で同じ様に取り扱ってしまっていますので、厚岸で6.5、今回の十勝沖の時も4m近く来ています。ですからそういうものでも4mの波が来たとは思えなくて4mの所まで達しているのです。津波というのは皆さんご存じの様にこの様な波ではありませんから、全体がこの様に上がって来ますので、それで例えば普段の高さより1mくらいどんどんどんどん、これはルートGHという簡単な計算ですぐに速度が出せます。だから海の深さからGを掛けてルートしておけば大体そこの津波の速さというのは分かる訳ですけれども、非常に海で起こっているものは速いです。深いですから。それでどんどんどんどんやってきます。それでどんどんどんどんやってきて、海底、ここは遠浅ですので、海底に来た時にもちろんルートGHですから、浅くなるとHは遅くなります。後ろが速いです。そうすると後ろから追いついてくるのです。ですからよく津波、真っ白なものがずっと見えるというのは後ろの波が追いついて来た為であって、その為にこの様な形で走ってきたのがこの辺でゆっくりになって、次にこちらが追いついてくるのです。そうするとその為に壁の様な形になって上がってくるのです。上がったものがそのまま来ますのでもの凄い力でありますが、6.5m、今回のインドネシアは10m、あれはMが9ですから、凄いです。9というのはもう想像がつかないです。地震をしていても8とか8.5くらいは何とか想像つきますけれども9になってくると、関東大震災が9で言えば普通は33.333、計算上で言えば33.33高が起こると。という事で阪神大震災で言えば1000高くらいのものが起こると、十勝沖地震で言えば9ですから、これが8ですから約33高くらいが起こるという、ちょっと想像がつかないです。ですからひょっとして来ているのかも知れませんし大学の先生方が色々調査していますからどんどん出てくるかと思いますが、厚岸の6.5というのも多分海岸に達した所ではないかと、2mか3mくらい来ましても今言いましたように後ろからどんどん来まして押さえられてきます。もちろん下が浅くなってくると摩擦も効きますので速度ももっと遅くなってくるという事で、ルートGHの中身は色々あるのですけれども、その為に6.5まで遡上してきた痕跡があったから6.5と、今回の十勝の津波も4mくらい来ているのですが4mの所に痕跡があるのです。家の所の横に。一応4mくらいまでという事でそのまま出しますと皆さん方は6.5の波が来るとか4mの波が来るとかいう事になって少し驚かれるのではないかといって、釧路の80cmとか90cmとか白糠の270cmとかこれは観測データから来ていますのでこの辺りはまともなデータだろうと思っております。こういう事を安心しろとは私は言いません。ここが割れてB、Cが割れてしまうとどのくらいの計算をするか、少し皆さんでださないといけないのですが十勝沖くらいの規模ではありません。かなり大きな規模がくると、それは津波がかなり大きなものが来ると思います。2、3mは覚悟しておいた方が良いかと思っております。計算しなければいけないので本当はいい加減な事を言えないのですが、8クラスが起こっておりますのでそうすると2、3mは普通出ますので、そうすると2、3mくらい、この辺りは覚悟しておかなければいけないと。今度起こる時にそういう様に思っております。その一連のものが活動をずっとしておりますので、ABCD、Aが起こるとAが1968年です。Aが起こった場合にここが少ないのですけれども浦河の辺りがやられるのです。それでAはこの様な形で一連の活動が開始し始めたという事を頭の中によく入れて頂いて地震が起こった時には津波に気を付けて、海に居られる場合はすぐに逃げて頂きたいとその様に思います。時間が来て何か変な話ばかりしてあれだったのですが、この様な事で一連の地震活動が始まったと見て、釧路、あるいは道東に住まわれる方は注意をして、皆様方の近場の方々に海に行かれた場合、やはり2、3mの波は覚悟しておかなければいけないと思いながらなるべく高台に逃げて頂きたいとその様に思っております。私が海に行ったら多分揺れましたら大急ぎで逃げるでしょう。実は奥尻のも経験、経験というか中枢で経験しておりますので、あれはもの凄かったです。あれは本当に5mとか何か波が来ております。急激に深くなっておりますからそれが急激に浅くなっておりますので、そうすると回り込んだ形で非常に高い、今言いましたように波が重なってきて高くなったせいなのです。それで5、6mの波、それから奥尻では実は28mの所までやってきたのです。波が来てそして逃げる所がありませんので上に逃げないとしょうがないです。後ろからどんどん来ますから、もうずっと上がって28mまで、津波はこの様な波ではありませんから、この様な具合に上がってきて、この様な具合に進んでいきますから。ですから50cmと言いましたら皆さん50cmの波全体が上がってきますから、それだけの力が押さえてきます。そして引く時は絶対に危ないです。引く力はものすごくあります。今回のインドネシアなんかも引く時にめちゃめちゃやられているはずなのです。それで掴まっていても引く時に色々な物が流れ込んできますから、それで多分ケガをされて、あるいはそれでぶつかると人間なんかすぐにいちころですから亡くなられたのではないかとその様に思っております。何かとりとめのない話ばかりをしまして、皆様方にプラスになったかどうかよく分からないのですが、また地震関係で色々な事がありましたら、気象台にお話しを掛けて頂ければまたもっと新しい内容の地震のお話しが出来るのではないかとその様に思います。今日は有り難うございました。



本日のソングリーダー 古川 浩会員




 

      3月 17日   「ペイオフの自由化とペイオフの解禁」
                     釧路財務事務所長 児玉清隆 氏 
                       


平間 和夫 息子が結婚しました
小船井修一 米山奨学生の中井陽介君が武修館高校として現役北大合格しました

本日合計 本年度累計
37,000円 1,480,540円


日時 会員数 出席率
3月 3日 100名 50.0%