2006〜2007年度 第6回(通算2943回) 例会報告 | ||||||||||||||||
作成日:2006.8.18 | ||||||||||||||||
会長 青田 敏治 幹事 西村 智久 広報・会報委員長 木下 正明 | ||||||||||||||||
会長 青田 敏治 午前中11時から釧路、根室圏総合体育館の安全祈願祭という事で、ロータリー釧路メンバーの中でも山本会頭、栗林副会頭、それと清水先生、私も工事関係者として末席を汚してきたというところでございまして、山本会長は一番、いよいよ掛かるのかという様な思いでいるのではないかと思いますし、皆さんも色々な寄付をして頂きまして、山本会頭に成り代わりまして私がお礼を言いたいと思います。目標の1億5000万円、まもなくというところでございますので、もう一踏ん張り、ひとつよろしくお願い致します。 さて、先週は小野ガバナーを迎えての公式訪問例会、これも無事終了しまして、皆さんには大変御苦労様でした。本当にありがとうございました。当日のガバナーの来訪ですけれども、私、心待ちにしていたのです。それは小船井ガバナーの時に私ガバナー事務所の副幹事をしていまして、ちょうど今、小野ガバナーが在籍しています紋別港クラブ、これが第4分区、オホーツクの方です。こちらの方に4泊5日で行ってきたという事で、小野ガバナーと確かその頃にお話しをした様な記憶があるのです。紋別港というと非常に論客が多く、うるさいところだという事を言われて行った記憶がありますので、その様な事で楽しみにしていましたし、地区協議会の時でも小野ガバナーは非常に熱くロータリーを語って、北の空からロータリーを変えるぞというくらいのすごい勢いでした。私も大分、これは会長幹事懇談会で相当厳しい事を聞いてくるのではないかと覚悟しておりましたが、終始和やかにその様な雰囲気で終わりました。ですから何か自分で考えて思っていたのとどこか違う様に受け取れたものですから、懇親会の後の二次会で話をしました。 そこで色々な話をしたのですが、面白い話もありましたけれども、ただ1点、口をつぐんで言わないあたりが何かあったところだろうという思いでいますけれども、それはなかなか我々1クラブの会長にはこれ以上は聞けないくらいのところまで行ったのですけれども、色々と複雑なものがあるのだという思いでいました。 そして、釧路クラブの事をクラブ協議会でお話ししてくださいましたけれども、2人でいるときに話してくれたのは、1つの分区で100人規模のクラブがあると地区全体に与える影響が非常に大きいのだと、きりっとした筋の通った、その様な地区になるのだと。ですから今、今日ご入会して頂きまして、97名になりました。私は100名を切らない釧路クラブにしたいという事を言っている訳ですから、私も頑張りますけれども皆さん方もひとつよろしく会員増強の方をお願いしたいと思います。 それともうひとつ言っていましたけれども、全体にそつなく、いかにも伝統のあるクラブだというのを実感しましたと言っておりました。私共釧路クラブに在籍して大変良かったという思いをその時にしたものでございます。それと私の今の心境はいよいよまずひとつ訪問例会が終わりましたので、あとは70周年に気持ちを切り替えてまっすぐにいきたいと思います。公式訪問を無事に終わったお礼を言いまして挨拶に代えさせて頂きます。ありがとうございました。 |
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西村 智久 幹事 |
1.釧路西RC 8/14(月) 休 会 2.釧路ベイRC 8/15(火) 休 会 3.釧路北RC 8/16(水) 休 会 4.釧路南RC 8/18(金) 休 会 |
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元会員の例会訪問 | ||||||||||||||||
島村 高嘉 元会員 | 元当クラブ会員、当時日本銀行釧路支店長でいらっしゃいました島村高嘉さんが例会に出席してくださいました。清水会員のリレー卓話にもあります通り、前回の訪問時は麗澤大学、現在は中央大学で教鞭をとっていらっしゃいます。 |
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「会員リレー卓話」 | ||||||||||||||||
プログラム委員会 委員長 宮本 英一 本年度最初の会員卓話についての趣旨説明をする宮本委員長 |
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清水 幸彦 会員 突然ではなく、先週にちょっと言われた訳であります。今日、ここに入りまして座席を決めるのにどんな酒が良いか、私は福司のところ、日本酒という事で行った訳です。下心はそこに行ったらきっと日本酒の1合瓶くらいついているだろうと思ったのですが、ついていませんでした。梁瀬さんがそこにいらっしゃいました。 さて、次の人のバトンを言っていきます。山下義則さんにお願いしたい訳です。これはあそこに牛タンのシチューがあったので、牛タンとかけて何故山下かという事でございますけれども覚えていますか、山下さん。初めて「二合半」という店に連れて行って頂いたのが山下さんなのです。そこで白崎さんと一緒に牛タンを食べた、その様な思い出があったので牛タンで山下さんに当てる事にします。 さて、クラブの組織でございますけれども、会員増強委員会というのがございますが、昔は会員推進委員会があって選考委員会というのがございました。その頃、私が推薦委員会に入っていた頃です、いつでも日銀の支店長さんは私が当番でこうする、今はサントリーもそうでございますけれども、ただ段々と支店長さんの年代が若くなりまして私と違ってきたのでバトンを渡しまして、若い方にしてもらっている訳でございます。今回、お客様としてお越しいただきました元日銀の釧路支店長であり元会員であります島村高嘉さんですが、以前にお越し頂いた時には麗澤大学の教授でいらっしゃいましたけれども、今度は別の中央大学で教鞭をおとりになっております。お書きになりました、「鎮守の森のなんとか」という本です。あの本をきちんと大事に持っております。時々読んでおります。私を推薦した方が日銀の支店長でございました。今回は野村さんがなっておりますけれども、アイスホッケーの委員長をしていらっしゃいます。私は常々思いますけれども、地元の企業のロータリアンも一生懸命にしていらっしゃいますけれどもよそから来た、いわゆる言葉は悪いけれども転勤族という方が非常に一生懸命にしていらっしゃる。この様な事を恥ずかしくない様な地元の企業であって欲しいと思っている訳でございます。 さて、冒頭に青田さんがおっしゃいましたけれども、今日体育館の安全祈願祭が行われました。これは誰から始まったか、誰からというと変ですけれども、今日の神社は木下さんなのです。鳥取神社な訳でございます。玉串奉奠から何から始まって、ずっと見ておりますと山本壽福さんがいらっしゃいますし、栗林さんもいらっしゃる、青田さんももちろん、この様なロータリークラブの方が実にたくさん入っている訳です。地域の為に一生懸命していらっしゃるという事、この力強さを感じたわけでございます。西暦2008年の10月に体育館がオープンすることになります。その時ちょうど北京オリンピックの年なのです。北京オリンピックが終わった後でこうすることを考えております。どの様な人を呼んできたら良いかという事ですけれども、例えば候補に挙がっているのは卓球の愛ちゃんや他にもバスケットなどが上がっております。これから想をこらして喜ばれる人をお呼びしたいと思います。なおちなみに体育館関係でございますけれども、スケートの方も非常にご熱心にご寄付下さいましてやっております。全部の、皆の体育館です。どうぞそこで皆様方も汗を流して頂きたいと思います。 それでは私も冷や汗を流しましたので、これで4分、山下さんにすぐバトンタッチ致しますのでよろしくお願い致します。 |
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山下 義則 会員 バトンタッチでバトンを受けた訳ですけれども、あと5日しますと8月15日で終戦の記念日でございます。私はこの終戦記念日の天皇陛下の勅語を台湾の台南にある小学校で聞いた訳です。ラジオの音響も途中で切れ切れの様になって、はっきりは聞き取れなかったのですけれども、終戦するという事については分かりました。その様な事で、あと5日で終戦記念日になる訳です。今度の戦争で決定的な負けをしたというのは、初めは確かにハワイ攻撃でアメリカの主要艦隊に勝利した訳ですけれども、2番目としましてはやはりどうしても取り上げなければならないのはミッドウェイの海戦でございます。ミッドウェイは昭和17年の6月4日ですから、まだ開戦から半年しか経っていない時にミッドウェイの航空戦があった訳です。それでこの時に航空機の戦いですけれども我国としては航空母艦を4隻、大きなものを4隻持っていった訳です。艦名は赤城、加賀、飛龍、蒼龍の4隻でしたけれども、これがこの日1日で海に没する様なひどい負け戦であった訳です。その中でやはり一番考えなくてはならないのは、4隻が沈んで飛行機も沈んだ訳ですけれども、一番大事なのはこの時の搭乗員が2000名失われた訳です。この2000名の搭乗員というのは初戦の時からずっと百戦錬磨で敵と戦っても互角以上にやれる連中ばかりが亡くなった訳です。ですから急造でやらなければならない次の部隊は大変苦労した訳です。爆撃をする爆撃隊、それから魚雷を撃つ雷撃隊、その様なものを編成するにしても、乗り手が熟練ではないものですから編成が大変だったという事でございます。この戦いで第2段目の指導力を獲得したいと思って帝国海軍がした訳ですけれども、実際には逆にいって、それを境にして大東亜戦争が下り坂になっていったという事でございます。 自民党の古賀元幹事長がこの15日の終戦記念日には遺族会の会長として出る訳ですけれども、古賀会長のお父さんも満州から台湾に行って、台湾からフィリピンのルソン島に行って、ルソン島の戦闘で亡くなった訳です。ただルソン島の戦闘は誠に惨めな戦いで、極論すれば弾薬、食料の補給が無い戦いです。ですからおそらく古賀さんのお父さんにしても飲まず喰わずの戦いを強いられて、そしてその方面の将軍はマレーの虎だった山下奉文が最高指揮官で、山の中を歩いたという戦いです。その様な事を考えるとこの8月15日、多くの人が色々な考えを持って迎えられるでしょうけれど、私としては本当に多くの戦友のお陰で今日こうして元気で仕事をしていれるという事に感謝したいという様に思います。 |
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新入会員挨拶 |
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矢澤会員からの紹介 |
挨拶をする奥田新入会員 |
会長より入会用品の贈呈 |
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郵船釧路運輸株式会社 ご紹介頂きました奥田でございます。まずはこの度入会をお認め頂いて誠にありがとうございます。よろしくお願い致します。矢澤さんと打ち合わせが悪くて、私が話そうとした事を全部話されてしまいまして、もう何も申し上げる事がないのですが、釧路へ二十数年ぶりに足を踏み入れまして随分変わったもの、変わらないものがございますけれども、まったく初めてみたいなものだという事で、皆さんのご指導をひとつよろしくお願いしたいと思います。それから職業を通じて社会に奉仕するという精神のクラブでございますけれども、実は私の関係する会社の船が今年の2月に釧路港で大きな事故を起こしまして、皆さんには色々な形で大変お世話になり、ご迷惑をお掛け致しました。私と致しましてはその恩返しも含めまして何か皆さんのお役に立てることを少しでもしたいという心構えで行きたいと思います。何卒よろしくお願い致します。ありがとうございました。 |
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8月24日(木) 18:00〜 「ロータリーカップ観戦例会」 |
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