2006〜2007年度 第20回(通算2957回) 例会報告 | ||||||||||||||||||||||||
作成日:2006.12.05 | ||||||||||||||||||||||||
会長 青田 敏治 幹事 西村 智久 広報・会報委員長 木下 正明 | ||||||||||||||||||||||||
会長 青田 敏治 皆さんこんばんは。今日は昼間のプログラムの予定だったのですが、急遽70周年の慰労会をしたら良いのではということでプログラムを変更しまして、皆さん色々用事があったのでしょうけれども、大変申し訳なく思っております。お陰様で70周年記念も無事に終了することが出来ました。早くから吉田実行委員長を初め、各委員長さん、それから会員皆様方のお手伝いのお陰で当日は無事に進むことが出来まして、式典も例年ですとどこの式典に行っても堅いまま最初から最後まで終わるというケースが多いのですけれども、非常に良い雰囲気だったという様に言われました。これ以上言いますとまた自己満足するのかと言われますので言いませんけれども、すべて私の為だとは言いませんけれども、非常に良い雰囲気だったということは皆さんが言っておられました。それと記念講演ですけれども、石黒さん、1時間が本当に早く感じましたけれども、皆さん方も何か得るところがあれば、これは大変な苦労をして来ていただいたという方ですので、二度ともう話さないだろうと自分でも言っていましたので、釧路クラブとしては大変貴重な方の講演を頂いたということになるかと思います。 そして今朝ほどの釧新にも出ていましたけれども、記念事業でAEDを3台寄贈しまして早速、市役所のロビーに早くも1台設置したということで、新聞には小さく書いてありました。「寄贈 釧路ロータリークラブ」というのが見えましたので、まず間違いなく置いたのだと一安心しましたが、大変良いことだという様に思います。それと祝賀の方に入りましてからは、料理に関しましてはもうどこの人達も素晴らしかったと、パシフィックホテルであの様な事が出来るのかというくらい、本当にそのくらい褒められまして、私も実行委員会の時にまず懇親会に一番金を掛けてくれと、中身を濃くしてくれというお願いをしておりましたので、それを褒められるということは大変私も満足しているところでございます。それと歌の方も良かったです。あのハーモニー、黒人の方も素晴らしかったですけれども、あの方も好評でした。あとはそれぞれ役目がありまして、総務、会計もまだ決済が出来ない状態ですけれども、記念誌はこれからですからもう一踏ん張り頑張っていただきたいと思います。それで会長幹事会、先週すぐにありまして、そこで話をしていたのは釧路クラブらしい大きい感じを受けたということを皆さんおっしゃっていました。その様なことから80年、100年と向かっていく訳ですけれども、テーマの「明日へ続く道」ということで、このあとも皆さんと共に歩んで行きたいと思いますので、今後もよろしくお願いをいたします。ありがとうございます。
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「ロータリー財団月間にちなんで」&「70周年記念式典慰労会」 | ||||||||||||||||||||||||
国際奉仕委員会 委員長 梁瀬 之弘 こんばんは。今月は今ほど紹介がありましたように、ロータリー財団の月間でございます。皆様から頂いております年会費の中より財団の方に寄付をさせていただいておりますのは周知の事実だと思います。今日はロータリー財団のプログラムについて、内容の中でロータリー財団の近況でありますとか、あるいは寄付の重要性という内容でお二人のメンバーのお話を伺いたいと思います。 まず紹介させていただきますけれども、清水パストガバナー、恒久基金日本委員会委員でございまして、この委員というのは日本で11名しかいないそうでございます。その中のお一人でございます。 もう一方は小船井修一パストガバナーで、年次寄付のコーディネーターということでございます。これは日本で8名の中のお一人でございます。二方が1つのクラブからこの様な立場で出ているというのは非常に珍しい、まれなことではないかと思いますので、是非この機会に財団に対する造詣を深めていただければと思っております。今日はよろしくお願い致します。 まず初めに清水パストガバナーよりお願い致します。 皆様こんばんは。目の前においしいごちそうが並んでいますので、今日はパシフィックホテルとしては珍しく普通の物が出てきているのではと思いますけれども、余り長くならないようにお話しさせて頂きたいと思います。 国際ロータリーが出来ましたのはもう100周年、昨年シカゴで100周年のお祝いをしたのが記憶に新しいところですが、財団がいつ出来たか、これは来年で90周年を迎えるということになっております。厳密に申しますと1917年、18年、年度のカンザスシティ大会で国際大会、それで余ったお金が26ドルなにがしあった、これをどう使おうかと、これを基金としまして出来たのがロータリー財団でございます。それから実に90年、色々なことをしております。しすぎてプログラムが多すぎるのではないかというご批判もある訳でございます。皆さん方、財団についてお知りになるとすればロータリーの友の11月号に業績のサマリーが載っておりますので、それで分かる訳です。私共はこのロータリー財団地域セミナーというものがございまして、この様なもので勉強といいますかその様なこともさせられると言いますか、いたします。聞くといたしましても紋別で財団セミナーをしたり、ご出席なさった方もたくさんいるかと思います。この様な報告書を読むことは大変なことですけれども、たまにはお目を通すのも良いかと思います。さらに日本恒久委員会というのはこれも大変なセミナーを勉強させられております。それをもっとまとめたものと言いますとロータリー財団というこの様な本当にポケットに入る様な本もあります。少しお読みになるとどの様なものかということがお分かりになるかと思います。色々な仕事をしております。皆様お気付きのところではロータリー財団親睦奨学生、それがたくさん出ております。ロータリー財団、世界で、日本で一番大きな奨学金の財団、そして米山が国内としては日本でも最大のものでございます。 さて、この様なものがございます。ロータリーゾーン研究会。これがつい先日24日から26日まで岡山県で行われた訳で、これはガバナーのみより上、上と言うと変ですけれども、古い方が参加して勉強するところです。これは「友」にも載っているところですけれども、国際ロータリー及びロータリー財団国内委員、ここを見ますと実は自慢すべきことだと思うのですけれども、うちのクラブから私が1人、それから小船井修一パストガバナーが3つの部門で名前が載っている訳です。ロータリーの会員組織ゾーンコーディネーター、それから年次寄付のコーディネーター、それからもう1つはロータリー家族支援グループのコーディネーター。それからもう1人、紋別の田巻明男さんが大口寄付のコーディネーターで、それならば北海道を2つに分けた2510地区、何人載っていたのだろうかと言いますと0(ゼロ)でございます。 したがいまして、札幌の人達もロータリアンも2510地区ですが、釧路ロータリークラブというところには非常に少し一目を置いている訳でございます。札幌ロータリークラブからこの間うちのクラブの記念周年に杉野目さんという方がおいでになりましたけれども、北大の杉野目学長のご子息でございますけれども、さらに来年は札幌ロータリークラブが75周年記念をするのだと、私と接待の関係で昔から知っていますので話をしましたら、釧路クラブというのは大変なところだから70周年に行くということも大変なことなのだ、勉強してくるようにはっぱ掛けられてきたという訳です。その様なこともございまして、皆さん方の中には北海道の東端の、この様な小さなクラブだと思っていらっしゃる方もいますでしょうし、まぁロケーションから言いましたらその様なところですけれども、これでずっとこの様なところを見ますと立派、立派と言いますと自画自賛になりますけれども、うちのクラブからでてこの様なことをしているということ、私も小船井さんも誇りに思っている訳でございます。私の話は抽象的と言いますか各論抜きにして話しますけれども、この中で例えばゾーン研究会でパネリストというのが何人か出る訳ですけれども、そのパネリスト、私も過去何度も努めておりますけれども今回もそうですし、小船井さんは前にも一度しています。全国のガバナー、パストガバナーが集まっているところで、パネルディスカッションのパネリスト、今回は小船井さんがロータリー財団の中のポリオプラスというところでお話しなさいました。私は今年これに載っていますけれども、昨年も恒久基金の委員になっていましたし、その前のその前の年にはポリオ撲滅募金キャンペーン日本委員ということで、連続で、日本のロータリー中のトップグループに入っている訳でございます。その様なこともありますけれども私が誇りに思うことが、うちから育てたというと変ですけれども私が育てたのではない、皆様方のその力によって育ってきた小船井さんがこうして伸びていっていることを、非常に大きな誇りとしていいのではないかと思います。今回のパネルディスカッションの内容についてはまた後でお話しがあるかどうか、今日は打ち合わせも何もしておりませんので、聞きたいと思います。 それから私、先程から資料の中を探していたのですけれども、入れたハズのものが載っていないものが1つありまして、それはロータリー財団の中に管理委員というのがいまして、英語で言いますとトラスティと呼んでいますけれども、トラスティと言いますと大変高い地位でございますけれども、その中のお1人が韓国から今度来年、再来年度の国際ロータリーの会長になるということはいつか小船井さんの情報でご発表になりました。私と彼とは昔から知っていまして、去年、一昨年どこかでお目に掛かって、同じテーブルでご飯を食べたことがあったのです。数名です。この様なテーブルですけれども、あのテーブルは会話が英語だけになるというので、そこへ指定席で行かれて、その時に撮った写真があったのを思い出したので、探してやっとここに入れたつもりだったのですが、今日は入っていませんけれども、次週か再来週かにまたもってきてご覧頂きたいと思います。申し上げることはうちのロータリークラブ、誇りを持ってしている訳でございますけれども、さらにさらに誇りを持っていただきたい。その誇りの中の1つは何だろうかと言いますと、やはり多少のお金を持たせていただきたいということでございます。かつて私がポリオ撲滅日本委員をしました時に、小船井さんがガバナーでこちらをしてくれました。なんと世界34の地区のうちで北海道のうちの地区というのはあまりお金を出す成績は良くなかったのですけれども、あのときはなんとしたことか全国で片手の中に入っている、4番かそのくらい。皆さんにご無理頂いた訳ですけれども2500地区、底力を持っているのだと、この様なことでございます。お金を出してくれというお願いをするのは大変心苦しいことでございますけれども、余っているお金があったならという言い方は変ですけれども、何かの時に出していただければ有り難いと思う訳でございます。中国の古い言葉にこの様なものがあるそうです。「余りあらばこれを行のう、ついにこれ行のうの時なし」、自分に何かのゆとりがあるならば、何かの時にしよう、この様な気持ちをもっていた。しかし、次にこれを行のうの時なしということでございます。余りがあったらしようということではなく、皆さん余っている訳では無いのでしょうけれども、それをお使い下さるということについてお考えいただきたい訳です。私が最初にポールハリスフェローになりましたのは1ドルが360円、36万円の時でした。その時米山奨学金の米山功労者というのが30万円、大体同じバランスで出てきた訳です。今118円になりました。かつて36万円出してポールハリスフェローになるよりももっと簡単と言いますか、しかし今、少し高いです。人によりますと来年の3月か4月に少し円が強くなるか、それまで待った方が良いということもありますけれども、待たなくてもどうぞ、私が頂きたいと思います。どうぞ力があって余ったならばそれをしようという気持ちも良いですけれども、天引き寄付というのも変ですけれども、少し前向きにお考え頂ければ有り難い訳でございます。頭を下げてお願いすることばかりですけれども、ロータリー財団の中総論的なことだけ申し上げまして、お願いしまして私の話を終えまして、小船井さんにじっくりと時間を取っていただきたいと思います。どうも皆さん失礼いたしました。終わります。 すみません。食事の目の前ですから早口で言いますけれども、テーブルの上に今年8月に開催した地区財団セミナー資料ということで「毎年あなたも100ドルを」という1枚の紙と、それから先程清水先生からお話しのあった、先週開催された岡山のゾーン研究会で発表された最新の結果について、これはパワーポイントで本当は説明すれば良いのかも知れませんが、一応この中で抜粋してコピーして参りましたので後ほど見て頂ければ幸いです。そして具体的にあった話の中で先程先生からお話しがありましたけれども、若い内にガバナーをすると使われるという、皆さんもしガバナーをされる方がおりましたら少し遅くした方が良いのかと思います。その様な意味では本当に若いから使われるということに大変私も苦労しております。その様な中で今私の方は年次寄付コーディネーターという形でアドバイザーかどうか分かりませんけれども、4地区の担当をしております。それで今、その4地区についての各クラブ別のデータベース、用は今RIの財団の本部にデータベースがありまして、個人別のドネーションの金額が全て分かるようになっております。それでその中で今釧路ロータリークラブメンバーの皆様達、全ての金額について今このデータがあるのですけれども、その中で恒久基金という先程先生がおっしゃっていましたが、ベネファクターという1000ドル以上寄付された方をベネファクターという様に恒久基金、恒久基金というのは利息で運営をする、寄付を利息で運営するという様なことの資金でありますが、その中で私共のクラブの中には6名のベネファクターがいます。もちろん私と先生は入ってですが、今日来られている方では梁瀬さん、浅川さん、それから大久保先生、それともう1人、ちょっとど忘れしましが、6人おられます。それで今日私共、先生もバッチをもってきました。日本人というのはあまりバッジを付けるのを嫌がるのですけれども、今日はポールハリスソサイエティ、要はポールハリス会というバッジを付けています。これは毎年1000ドル以上を私はドネーションします、寄付しますという誓約、要は確約した人がもらえるバッジでして、一応私と清水先生と地区内ではあと2人、今4名います。日本では今200名います。それから右側のこの四角いバッジは、これはひげがついていますから、これはベネファクターの印で四角いのは、これは1万ドル以上寄付した大口寄付者という様なかたちで1万ドル以上寄付したのがダイヤモンド1個、それから2万5千ドル以上寄付するとダイヤモンド2個、清水先生が2個です。それから3個が5万ドル、4個が10万ドルとその様な格好で、色々な意味で財団としてのたくさん寄付したら偉いよという様なことでしておりますが、それはあまり気にしないで結構です。ただ早口でお話しして申し上げますが、毎年40ドルずつ年会費の皆様方、釧路クラブの場合は上期に20ドル、下期に20ドルを皆様から財団に対して寄付をお願いしております。その様な中で従来それはクラブの寄付として財団で寄付しておりましたが、今年から個人別に寄付をしております。先程もお話し申し上げた個人別のファイルがある、データベースがあるからには毎年40ドル皆さんの数字が上がっていくということは10年経つと400ドルになります。そうすると20年経つと800ドル、ということは25年で1000ドルになります。その様な意味でいきますと必ず皆さんポールハリスフェロー、1000ドルを寄付するとポールハリスフェローになりますが、基本的には25年で自動的になるようなかたちになっておりますということをご理解頂きたいことと、無理な、我々としては財団のお金を出して欲しいとは思いません。しかし何かその様な意味でいきますと認証ポイントを使いながら、これも話すと長くなりますので簡単に言いますと、認証ポイントを使って500ドルでポールハリスになる方、その様な方を我々としては推奨しますし、今日は青田会長にもご相談申し上げましたが、もうあと100ドルか200ドル出せばポールハリスになれそうな人、その様な方達をまずは選別ということは無いのですけれども、探し出してお願いをするかもしれません。その様なことをお願い申し上げながら、バッジが増えると気持ちが良いですから、その様な意味ではバッジをもらう様なかたちでお願い申し上げながら財団の方のお話しに変えさせて頂きます。本当によろしくお願い申し上げます。 ポリオプラス、ポリオというのが小児麻痺です。その小児麻痺に関しての2回大きなキャンペーンを国際ロータリーは実行しました。今日お渡ししている資料の中にも、今の国際ロータリーの最大の目標がポリオの撲滅です。そのポリオを撲滅する上で本当にポリオというものは撲滅出来るのだろうかということが今最大の問題になっています。ただ今のところ2008年にポリオの発症を0(ゼロ)にして、今はナイジェリアとインドとそれからどこでしょう、パキスタン、4カ国ないし5カ国が今まだ感染、発病者が出ていまして、今年だけでも1000人を越えるポリオの患者が出ています。その様な意味では大変困難な道ではありますが、国際ロータリーとしてNO.1の目標がポリオの撲滅であって、2008年に発症を0(ゼロ)にし、2011年に撲滅の宣言をすると、WHOと今協議している最中でございまして、今後ともその様な意味ではポリオプラスパートナーという形での、これはDDFという地区の資金を使いながら今後運営していくということで計画しておりまして、皆様についてもその様な意味でポリオに関しまして関心を進められて頂ければ幸いだと思っております。私の方からは清水先生、よろしいでしょうか。 乾杯あいさつ 皆さんこんにちは。70周年では大変お世話になりまして、ありがとうございました。中身につきましてはまた滝越さんや色々な方がお話しになると思いますので、私は全く方向を変えまして色々調べてみまして、この60年から70年の間にどの様なことがあったのかということで10大ニュースを調べてきましたので、発表させて頂きたいと思います。 やはりこの10年の間で一番大きな出来事は2002年、小船井ガバナーの誕生だったと思います。これは清水先生がガバナーになりましたのは丁度26年くらいになりますので、それ以降なかなかガバナーが、ガバナーエレクトも出たのですけれども、色々な事情があって出られなくてそれで小船井さんが誕生して、これは大変大きな釧路クラブの活性化になったところです。その次に小船井ガバナーの時に地区大会をするという事で釧路クラブが受けましてこれも大成功で当時のその前の時の地区大会は講演会など色々あったのですけれども、我々は伊藤多喜雄、多喜雄バンドで大騒ぎをしたという事で、これもまた少し変わった大会だったと思います。これが第2番目。3番目はガバナー補佐制度が出来まして、この制度が変わります時にIGFからIMに変わった時もうちのクラブが受けたのですけれども、ガバナー補佐、前の分区代理からガバナー補佐制度になりました時もうちのクラブで受けまして、これは第1番、最初のガバナー補佐が小川会員でございまして、これも大変な大役で、このガバナー補佐制度を小川さんがしまして大分根付いたということだと思います。4番目はクラブのIT化というのがこの10年間で始まりまして、私が10年前、その前はワープロなどで使ったのですけれども10年前にパソコンが入りまして、それからこれが浅川さんの年度の時にパソコンが入ったのです。96年。その後に5番目のニュースとして1997年には2500地区最初のホームページをうちのクラブが立ち上げました。当時はホームページビルダーが無い時代で大変苦労しまして、いわゆるhtml言語、あの言葉で使いましたから、leftと書くと赤い字が出る等、すごく苦労した事がありますけれども、その様なものを作りました。それから当然メールアドレスも取得して、今の時代になりました。6番目が2003年5月23日にロータリーの国際大会が大阪でありまして、これも釧路クラブから大挙して行きまして、国際大会とはこの様なものだとして大阪の街がロータリアンで溢れていまして、世界中のロータリアンがいまして、それからユニバーサルスタジオを貸し切ったりしまして、これも随分大騒ぎしたことがありました。7番目に2001年に会報がホームページに載るようになりまして、これも他のクラブではまったくしていない事だったのですけれども、うちのクラブで会報をホームページに載せる様になりました。それから8番目、大変悲しい事だったのですけれども、我々のクラブの精神的な支柱でありました川口さん、片岡先生が亡くなりまして、9番目はクラブの改革が色々なされまして小船井さんが交換留学生を一生懸命にしようという事で、この5、6年ずっと続いたことや嵯峨記念育英会の利息が大変で色々存続の危機もあったのですけれども、なんとか続けられた。この様なことが色々ありましたのが9番目。最後の10番目はうちのクラブの大山さんが入りましたのが10年ちょっと前、大熊さんの時に入りまして、大山さんも丁度10年経ちまして、残念ながらこの間の70周年では表彰されなかったので、私は青田会長に是非お願いをしまして、クラブ表彰で何か記念品を贈っていただければと思います。それから大山さんも本当に10年間でいまやうちのクラブに無くてはならない存在になりましたけれども、大体この様な事で10年間で本当に色々な事がありました。IT化をした3年間、小船井さんの年度でもって大きく変わりました4年間、それからクラブ改革をした3年間、この様な事があった10年だったと思います。以上でございます。 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12月07日(木) 12:30〜 「年次総会」 |
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