2006〜2007年度 第22回(通算2960回) 例会報告 | ||||||||||||||||
作成日:2006.12.25 | ||||||||||||||||
会長 青田 敏治 幹事 西村 智久 広報・会報委員長 木下 正明 | ||||||||||||||||
会長 青田 敏治
お食事中の方はそのまま続けられて結構です。先週の年末クリスマス夫婦会、親睦委員長の活躍がありまして大変楽しい良い雰囲気で終わることが出来ました。ありがとうございました。それと梁瀬委員長、西村副幹事によりまして募金や受付のお願いに回ってもらいまして、佐呂間の竜巻募金の合計が5万円になりましたので、早速ガバナー事務所に送らせてもらいました。財団の寄付についても総額で18万8千円になり、大変感謝しております。ただこの財団の方の寄付についても回るタイミングが悪かったのか、皆さんが結構酔っていたのか財団の寄付なのですけれども1千円という方が多数いまして、寄付のあれが違ったのではないかと思うのですけれども1千円でも立派なものでして、何か勘違いしたのではないかと思いましたけれどもそれはその時の気持ちという事で良かったという様に思っております。 さて皆さんすでにご承知の事かと思いますけれども、当例会場でありますパシフィックホテルが民事再生手続きを申請しました。例会場事務局とありますので皆さんも心配しておられるかと思いますけれども、この事をある程度、私共の方で予測と言いますか万が一という事もありましたので、水面下では多少動いておりました。しかしここの事務局は色々な古いいきさつがありまして、それと長い歴史もあります。それで今日の例会後にパスト会長会を開きまして、そこで色々意見を出して頂いて、それを参考にして我々理事会で決定させて頂きたいという事で、2クッションくらい置きながらしたいと思います。いずれにしても時間がありませんので、すばやく対応して行きたいと思っております。それから当パシフィックホテルの中村社長とお会いしまして、状況説明をして頂きました。いずれにしましても1月中は営業を続けるという事でございますので、当例会も1月はここでする予定でいます。それにしても中村社長は皆さんに迷惑をかけて大変申し訳ないとお伝え下さいということでございました。あとは皆さんに協力して頂きながら1日も早い決着を目指しますので、どうぞ今後ともよろしくお願いをしたいと思います。終わります。
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「上期を振り返って」 | ||||||||||||||||
会長 青田 敏治 上期の話になりますとどうしても内容は70周年記念という大イベントがありましたので、その辺が中心になるかと思いますけれども、とにかく忙しいこの半年だったという思いです。その分早く過ぎたという実感をしております。 7月の第1例会では薬師寺ガバナー補佐を初め、各クラブの会長幹事が訪問に見られまして挨拶をしていきましたけれども、今年は各クラブそれぞれ挨拶をしない、訪問しないという事でしたが、どうしても釧路クラブだけは行って挨拶をしなくてはならないという事になって、皆さん見えられました。私は70周年が控えておりましたので、7分区全部挨拶して回ってきました。その中でも少ない会員の中で色々と工夫されてクラブ運営をしているというのを見て感心したことを覚えております。 クラブのホームページの会報をずっと見ていたのですけれども、私の挨拶の中で早い時期に例会中の私語は釧路クラブが一番多いという話を訪問後にしたことがあるのですけれども、それ以降全然気になってなかったのです。という事はもう私語ということは釧路クラブではもうおっしゃるとおり死語になったのではないかと、しゃれを先に取られるくらい悔しいものは無いのですけれども、その様な事で本当に少なくなったという感じを受けます。さすが釧路クラブだなと。大人のクラブだなという様に思います。 その後、納涼ビアパーティーでは羽生親睦委員長が軽妙な司会で、大変楽しく出来ました。それとクラブ協議会の内容ですけれどもこれは様々な角度から、非常に愛情のこもった鋭い指摘がありまして、これも大変ありがたく勉強になりました。 その後ガバナー公式訪問ですけれども、小野ガバナーの本当に丁寧な説明、講話というのもありましたし、会員100名を切らない、その様なクラブにしたいと言いましたら、是非実行して欲しい、何故かと言うと1つの分区で100人規模のクラブがあると地域全体に与える影響が非常に大きいのだと。そしてきりっと筋の通った地区になると、その様な話をしておりました。その点では矢澤会員増強委員長の顔の広さで十分に発揮して頂いている、その成果が出ております。96名でスタートして現在98名、先程幹事の方からありましたけれども会員の紹介も含めて入会の予定者が5名おります。順調にいきますと100名を越えるのですけれども、ただ上期で大会する方が数名おりますので差し引きするとまた会員増強に頑張らなくてはならないという事になる訳ですので、矢澤会員増強委員長はもちろん我々理事も一生懸命に努力しますけれども、会員の皆さんにも重ねて会員増強の件はよろしくお願いしたいと思います。 年度初めにプログラムを、委員会には会員卓話を出来るだけ多くして欲しいという事で進めて参りましたけれども、これは下期の方に行っても会員卓話を多くしていきたいという様に思っております。ゴミ焼却施設、三ッ輪商会という様に移動例会としては最新の設備を見学することが出来ました。栗林会員には大変その節はお世話になりました。ありがとうございます。 10月の地区大会ですけれども遠路はるばる20名近い会員に参加して頂きました。大変な天気でして低気圧による雨、風です。これはひどかった記憶があります。最後の日に会長、幹事が帰ってきたのですけれども、紋別を出てしばらく走ってから山沿いが洪水になっていまして、もう10分出るのが遅かったらまた引き返して泊まらなくてはならなかったという状態のところを帰ってきた記憶があります。 この地区大会の後、ガバナー月信にも書いてありましたけれども、小野ガバナーが扁桃腺を化膿させて入院して、医者からもう少しで生命の危機でしたという事を言われたという事ですから、釧路へ70周年で来た後も一緒に飲んだのですけれども、その時もひどい目に遭ったという話をしておられました。段々皆さんもお年を召してきましたので、のども弱くなりますから十分に気を付けて頂きたいと思います。 11月にはいよいよ70周年記念を釧路クラブの総力を挙げて成功裏に終わることが出来ました。事前準備、リハーサル、皆さんには大変忙しい思いをさせましたけれども、さすが釧路クラブと、非常に評価が高かった事で満足感が一杯でございます。記念講演での石黒さんへの対応ですけれども、滝越会員ならではの粘りと気配り、これが見事なもので感心するくらいでした。また祝賀会も内容も雰囲気も最高の出来映えだったと思います。川本祝賀会委員長とホテル側との試食会後のしつこいくらいの折衝をしておりました。そのお陰で見事な料理に皆さん大変満足してお帰りになったという事でございます。 それから70周年の一環として木下広報会報委員長ですけれども、広報活動に大変情熱を掛けて頂きまして、道新、釧新から取材を受けましたし、釧路ロータリークラブの記事を載せて頂きました。そして初めての経験でしたけれども、FMくしろに生出演をしたという事でございまして、これはロータリーを広く知ってもらうためには良いでしょうという事で出たのですが、吉田実行委員長と2人で出たのですが、2人でスタジオに入りまして10分くらいの予定ですという事を言われたのですが、事前に向こう側から質問する事項が4つ程あったのです。それで一つめにロータリーとは何ぞやと、いうのがありまして、これだけで10分くらいかかるのです。難しいですよね。ロータリーは何ですかと聞かれても。シカゴの話からする訳ですから10分以上掛かる訳ですけれども、25分掛かって完全に番組に穴を開けてしまったという事で小船井社長には大変恐縮をした次第でございます。本人はスタジオの向こうで気が気でなかった気がするのですけれども、大変ありがたく思っております。 これで会長は少し新聞や何かに出過ぎではないのかという声も聞こえましたけれども、すべてロータリーという奉仕団体があるという事を知ってもらえたという事で、これはこれで良かったと思っております。 12月に入って年次総会がありましたけれども、次年度の理事が決まり次々年度の会長ノミニーを発表しました。ここでまず私としては肩の荷が下りたという事ですけれども、しかしこの履行者がいない場合、次々年度の会長選びというのを現会長が1人でしなくてはならない。私、これはもう限界があると思うのです。自分がそう感じましたから。ですからこれは次年度の会長さん、白幡会長ですけれども出来るだけ会長1人の責任にしないで少し軽減してあげるという仕組みを作って進めてはどうかという思いをしたところでございます。 年末クリスマス会、それは先程話しましたけれども、色々と歳末助け合い募金、佐呂間の募金、ロータリー財団、皆さんには大変出費を重ねまして申し訳なく思っております。皆さんの協力に感謝いたします。 お客さんも多数見えられましたし、喜んでいただけたという様に思います。シュリス・カンさんについては7月の来釧以来、梁瀬国際委員長に御苦労を掛けておりますけれども、この後のホームステイ先が決定しましたとのことで、一応は安心しましたけれども、現在北陽高校で受け入れしているのですが、受け入れも送り出しも一切出来ませんという事を言ってきましたので、これまた1つ問題が出来たという事でございます。色々と解決しなければならない事もありますけれども、何とか私の年度内で交換留学生事業の方向性だけでもつけられたらという様に思います。 チョウ・イコウさんには山口会員がカウンセラーとしてずっと付き添っておりますし、本当に足が悪いのに御苦労さんですけれども、チョウ・イコウさん、5階に住んでいるそうですが5階まであがれないという事で大変不自由な思いをしながらカウンセラーを続けてもらっております。 という様な事で上期は忙しくてあっという間に通り過ぎた感じですけれども、下期では余裕で努めていこうと思っておりましたが、今回の問題が発生してしまいました。まだまだ一生懸命に働けという事を言っているかと思いますので、頑張っていきたいと思っておりますけれども、それにしても何で私の年度で釧路クラブの大きな事故、出来事です、70周年にしても今回の事にしても、ねらい打ちされている様な気がしてしょうがないのですけれども、それはそれでしょうがない事なのかという様にあきらめながら、1つ1つ解決して行きたいという様に思っております。 この例会の後は来年、年明け11日までありません。まだ早いと思いますけれども、来年は皆さんにとって良い年になりますように祈念いたしまして終わりといたします。ありがとうございました。 忘れもしない、7月13日くらいの例会でようやく、私長い間ロータリークラブの会員の資格だけは持っているのですが、この様な形で青田会長や皆さんと一緒にロータリークラブのスタッフの一員になれたという事で今日まで来ました。 |
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1月11日(木) 18:00〜 「新年交礼会」 |
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