2006〜2007年度 第39回(通算2976回) 例会報告
作成日:2007.5.03
会長 青田 敏治   幹事 西村 智久   広報・会報委員長  木下 正明

会長の時間
会長 青田 敏治
 いよいよと言いますか、先週ベイクラブの10周年に行ってきましたけれども、足立ガバナーノミニーの講演ですけれども、大変勉強されて中身を随分研究していると思いましたけれども、あの通りにすると大変だろうという様な思いでもいました。そしてなお、今日から北見の方に次年度の白幡年度がいよいよPETS地区協議会という事で、今晩からたっていくという事ですから、足立ガバナーノミニーの話しも一生懸命聞いた事ですし、また今回北見へ行って、一生懸命勉強して来ると。途中で帰ってきたら駄目です。その様な事が無いように一つまじめに勉強してきて欲しいと思います。終わります。 
会長の時間
1.釧路西RC 4/30(月) 祝日休会 (みどりの日)
会長の時間
講話「熟年よ 旅に出よう」
釧路中央病院内科医師 荒井 義章 氏

プログラム委員会
副委員長 舟木 博

 皆さんこんにちは。講話の案内と講師のご紹介をさせて頂きます。荒井様は昭和19年東京のお生まれで、現在は釧路中央病院の内科の先生でいらっしゃいます。釧路新聞にDr.荒井の東南アジア放浪旅日記が掲載されておりますので、皆さんの中にもお読みになった方がいらっしゃるのではないかと思いますが、この連載は平成10年に新風舎から出版されております。東南アジアを一人旅された貴重で珍しい体験談がたくさんあります。私も興味深く読ませて頂きました。平成11年のNGOアジア医師連絡会での医療活動を皮切りに平成12年、13年とピースボートの船医として地球を二回りされ、平成15年の4月から9月まで国境無き医師団として東アフリカのウガンダで医療活動に従事されるなど、文字通り世界中を駆け回ってご活躍されております。本日は「熟年よ旅に出よう」と題してお話しして頂きます。貴重なエピソードもお聞かせ頂けるのではないかと楽しみにしております。また、少々帰りに受付で販売しておりますので、ご興味のある方はどうぞよろしくお願い致します。それではよろしくお願い致します。

釧路中央病院
内科医師 荒井 義章 氏

 こんにちは。今、ご紹介頂きました荒井でございます。中には見知った方がいらっしゃって、非常に心強く思っております。時間が、今丁度1時ですから、2時くらいまでという事だったので、大体丁度良いのではないかと思います。今日はこの様な立派な会にお招き頂きましてありがとうございます。ロータリークラブというのは私、講演するのは初めてでして、まず感想。この会の感想。皆さん歌がお上手ですね。ウイーン少年合奏団に日本人が一人入りました。子供さんが、男の子が入りました。これはウイーンでは無いので釧路熟年合唱団、非常にハーモニーも良く、私もカラオケが大好きですけれども、非常に感銘を受けました。皆さんこれから益々良い歌を歌って頂きたいと思います。
 それで僕は今までここに書いてある、今、紹介した様に色々回っていますが、変わった医者がいるなという様にいつも思われています。色々なところからどこで聞いたか知らないけれども色々なところからお声が掛かるのです。このロータリークラブもそうですし、釧路市の生涯学習、その様なところの講師をしてくれとか、教職員の組合や臨床技師検査会、お医者さんの会ですとか、それからヨガ教室、変わったところでは視聴覚障害者、目の見えない方、不自由な方の前で講演した事がありますが、その時、普通はスライドを使うのですけれどもスライドを使わないでしました。後は旭川医大ですとか、色々なところで講演しています。時間がございませんのでかいつまんでしますけれども、ロータリーと言うと思い出す事が1つありまして、私、ネパールに、ネパールというのはインドのところにこの様に長くあるのです。首都カトマンズというのはこちらの方にあるのですけれども、ここで飛行機を降りるのですけれども、その真ん中くらいにNGOの援助する病院がありまして、そこで3ヶ月ほどしたのですけれども、その辺のお話しもしたいのですけれど、今日は出来ませんが、そこの都市、ブトワールという街なのですけれども、そこに働いていますと色々な方が慰問に来られるのです。どういう方かと言うと、その様なNGO関係にお金を出している方達、NGOを支持している方達です。サポートしている方達が、自分の手弁当で来るのです。両手に色々な文房具や着る物を持って、そこの田舎の田舎のその町にやって来てくれるのです。わざわざ。そしてそこの病院で見学したり、色々なお祭りの様なものをしたり、歓迎会をしたりして、そして帰るのです。それで帰りに国立公園を見たりして帰る、その様な事をスタディーツアーと言っています。勉強の旅と。完全に行楽だけではなく、勉強の意味もあると。それでスタディーツアーにどこで知ったか、神奈川のロータリーの方が来られたのです。10人くらいでしたか、もっと来た。奥さん達もいたのです。20人くらいで来たのです。かなりの団体です。20人と言いますと。その方達が病院に来たのです。僕が日本人で働いていますと言ったので、「いやぁご苦労様、日本人がいるとは思わなかったです」と言って、感心して励ましてくれたのです。非常に心強かったのですが、その時になんとその方達はおみやげを持ってきたのです。何だと思います?消防自動車。消防自動車の古い型。1代古い型です。今は最新式のものがあるのでしょうけれども、それで古いって言っても立派です。もうそれこそ大変な装置がついているのです。その消防自動車を持ってきてくれたのです。どうやって。ネパールって海が無いではないですか。それでどうするかと言いますと、日本からもちろん積む訳です。そうするとインドというのがあって、日本からこう行くところをこういう様にマレーシアのシンガポールを通ってここにマドラスという、この辺りに良い港があるのでここに降ろすのです。それから延々延々と運転して、この陸伝いにネパールまで運んでくれたのです。なんと、1000万円掛かったそうです。運ぶのに。それはそうでしょう。日本からの消防士さんを連れて行かなくては使い方が分からないから、消防士さんを2人連れて行ったのです。それから運転士さんがいないと駄目ですから、運転士さん。これは現地の税関に色々払ったり、それからインドというと結構遠いので、日本の大きさと比べてみたら分かる通り、日本の本州、それよりもっとあるかもしれません。そこを来たのです。そしてその間、何週間もかかりますから食事もという事で、1000万円掛かったと聞いたのです。もちろん消防車はただです。廃車にする消防車ですから。それでお祭りなのです。町中が喜んじゃって、日本から最新式の物が来たと、町長から、私達の院長、ポカレルという院長がいましたけれども、その人達から、町の人達の殆ど全部出ました。ホテルを借り切って。ネパールの人というのは演説が好きで、例えばこの様な会でもこの様にパッパッパッとしないのです。30分くらい話すのです。その一人が。それがステイタスと言いますか、その人達の色々な歴史や何かも話すのではないでしょうか、色々話すのです。そして10人くらいするともう大変。ごちそうがもう大体待っているのですが、ごちそうと言いましても今日の様なごちそうではなく、大体カレーです。カレーと言っても日本のカレーと違います。ご飯、白米にダララっと掛けるのではないのです。ご飯もありましたけれども、この様な焼いたナンの様なもの、そこに少しそば粉の様なものが入っていて、黒い色がついています。カレーはチキンは入っていましたけれどもこれは高級で、普通はチキンも何も入らない野菜だけのカレーです。汁々です。つまりハーブと言って香草、その様なものを煮詰めて、それに少し味を付けてというもので、汁々のカレーです。それをご飯にまぶしてこの様に手で食べるのです。それからナンも上手にちぎって食べるのですが、日本のカレーと全く違います。でもそれはそれなりにおいしいのですが、その様なカレーパーティー、そうして皆で喜んでくれたのです。だから消防車を1000万円でというのもどうですかねぇと思いましたけれども、ただ後でその人達が帰ってから、僕ら地元の人達で言いました。お話しするではないですか。この消防車ってどの様に使いますかと言ったら、その地域というのはここで言う層雲峡みたいなところです。道は舗装されていなく細いのです。それで層雲峡の様なところであれが無いのです。消火栓。消火栓が無いから今の消防署というのはきちんと消火栓の場所が釧路のどこどこにあって、パッと行ってパッと消火栓でシャァーと水が出る様になっているのですが、消火栓が無いとどうにもこうにもならないのです。そこでしょうがないのでついてきた人達はこうしたそうです。谷川に降りる場所が1ヶ所ありまして、層雲峡の様なところでも少し下の方に行くと消防車が降りられるところがあるのです。その様なところで水をくんだそうです。タンクに一杯。そうしてジャーっと放水してヤッタ、ヤッタと喜んだのですけれども、火事の時に、それは入れておけば良いのですけれども、それだけ使ってしまったらそこまで行くのにまた1時間くらい掛かる。何それ。何の為に来たの? だけれどもそれは町の人にとったらシンボルです。日本から20人の人が来てこれだけの物を持ってきてくれた。これはもう嬉しい、嬉しい、町長さんなんか鼻高々です。だけれども実際にはその町ではブトワールという町では消防車は1回も使われているはずはありません。お祭りの時は良いのです。パレードは。だけれども、火事の消火作業には駄目なのです。使えない。その様な事がなかなか日本のNGOというのはあるのです。
 もう1つ、高規格の救急車というのが1台来たのです。これも神戸の方達、神戸の人達がバンドで歌をしたり、皆さんの様に合唱をしたり、その様な事でお金を集めて、これも
1000万円近く掛かったそうですが、高規格の酸素を使える救急車を送ってくれたのです。これも僕のいる間に来たのです。これも大変でした。病院の広い敷地があるのですが、そこにこの様に広いところに幕を張りまして、そこで有名な人達、全部殆どの町の人達が来て、延々と1人30分、演説を10人聞いてお食事会があったのですが、救急車というのは「もしもし、119番ですか。どこどこで怪我をしています、お腹が痛いと言っています。来て下さい」という電話です。まず電話です。救急車のところに行って来て下さいという事もあるかもしれませんが、殆ど電話なのです。ところがブトワールというところは電話が無いのです。あるのだけれどもそれは病院やその様なオフィシャルなところ、役場、学校はあるかな、無いところも多いので、殆ど無いので、普通の一般家庭から救急車を呼ぶ事は無いのです。そうするとその救急車は救急の役には立たないのです。例えば病院から病院に運ぶという事は出来ます。それでしたら救急車じゃなくても良いでは無いですか。つまり救急車を1000万円掛けて贈りましたけれども、その人達の熱意、その素晴らしい精神は非常に高く評価する訳です。ロータリーの方の本当に純で無垢な奉仕の精神、非常に有り難かったのですが、地元の人はあとからこれだったらインドの車、インドにはタータという、旅行した人は分かるかも知れませんが、タータ、タータと言いまして、スズキのあれです。スズキのジムニー、その様な形の車です。それをタータと共同でしているのです。それを2台貰った方が良かったって言うのです。そうすると消防車の方で2台、救急車の方で2台、4台町に入る。これは有効です。これだと病院の看護婦さんが乗ったりする事もあるし、お医者さんが乗る事もあるし、非常に有効な事が出来た。つまりその様な事が日本の援助という事の中にも多々あるのではないか。他にもです。ではそれをどうしたら良いかと。やはり日本の人も色々と寄付したいではないですか。学校を寄付したって先生がいなければどうするのですか。先生を教育しなくてはいけないです。教育した先生が地元に残らないで日本みたいに東京に行ってしまったらこれはもう困ってしまう訳ですけれども、この様な事もあるのです。カトマンズに呼んでもカトマンズにいるという人もいるでしょうし、どの様にしてその様なソフトの面でしたら良いかという事をまず考えないと、NGOというのは中々難しいのです。お金だけ出すというのは1番困るのです。現地の人は喜んでしまうのです。たくさんお金を送るから。ですがそれは現地の人の運転手の懐に入ったり、リーダーさんの懐に入ったり、お世話役さんの懐に入る可能性があるのです。全部がそうでは無いですけれども。その様に注意をしないと難しい。だけれども注意をすると言ってもどうしますか。それには日本人のなんと言いますか考え方、欧米人と私は色々なところでお付き合いをしておりますが、厳しいです。考え方は厳しいですけれども、実利的と言いますか、プラクティカルと言いますか、その辺はかなり情報が単なる一介の旅人にもかなりの旅に対する危険性など、その様なものは自己責任と言いますか入っている事が多いのです。日本人というのは、これは日本人だけでは無いです。韓国の人もそうです。中国の人もそうです。この間香港の人にお目に掛かりました。香港の方達もそうです。大体が団体で行動して、お世話役さんがいて、全部してくれるのです。ですから僕、正月の1週、2週というこの間にタイとラオスというところに行ってきたのですが、それも話すと長くなるのですが、定年の方がいまして厚岸の獣医さんで、私は厚岸で8年、町立病院にいたのです。釧路でもう10数年、南病院や中央病院やえんれい荘、えんれい荘というのはあそこです、養生邑。色々な地域医療をずっとしているので、知り合いもたくさんいるのですが、その方が定年だというので、荒井流の旅というのに行くかと言ったら「行きます」と言うから連れて行ったのです。荒井流の旅というのはこの様な格好で行くのです。後であそこに本がありますから、1000円でもう投げ売りしますから買って下さいね。もうこれで最後ですから、実は2冊ありまして、これは厚岸を辞めた時の本で、これはその後トルコとかアフリカに行った事が書いてあるのですが、単なる旅物語では無く、多少これでもって編集者が言うには熟年の方、リタイアの方の背中をそっと押している様な旅の本を書けと、これは難しいのですが、その様な本にしたつもりでございます。今日はとてもとてもお話しが切れませんけれども、もし良かったら買って下さい。
 その方を連れて、僕の話というのはポンポン飛びます。元に戻ります。必ず。そのリタイアの獣医さん、良し、行こうと行ったのですが、これは僕の旅というのはその交通公社や何かの人には悪けれども普通の切符ではなく安売り切符なのですが、それを買って行くと大体1泊目くらいはこちらからFAXで予約する。地球の歩き方という本に皆書いてあります。FAX番号が。だから英語で書くのです。私が日本の旅人です。英作文です。そこのお宅に1泊させて下さい。いくらですかと書くと向こうからFAXが帰ってきます。メールでも良いです。メールでも良いのですけれども、FAXです。そして1泊目だけ決めておいて、あとはそこが良ければ3日、4日いて、その後はこっちに行こうかと動くのですけれども、ラオスというところに行ってきたのです。そこで合うと合う人は日本人は余りいないのですが、タイにはあれがいました。韓国の人。アニハセヨっていう人がたくさんいました。空港で10人くらいの人があっちにもこっちにも5組も6組もいるのです。そこにいちいち現地のガイドとそれから韓国人の向こうの言葉を使う人がいつも2人ついて、皆でアニハセヨ、アニハセヨとやっていました。最後まで。韓国の人が多いです。日本人はさすがにその様な団体の旅は少し少なくなってきました。それでも3、4人で一番贅沢なのはお爺さんとお婆さんと言ったら悪いか、熟年の方が2人、奥さんと旦那さん、ガイドさん1人ついてそうしていました。その様な大きな団体の旅の日本人というのは割と少なくなってきました。でも、また元に戻るのです。西洋の人に比べるとやはり日本の人の外に対する方法、その様なものが充分とは言えないです。ついて行って「ここが良いですよ」と言ったら「そうですか」「ここで買いましょう」「ここで食べましょう」「ここが良いですよ」、「あなたのおっしゃる通りです」というと良いのですけれども、ひょっとしてその様に僕らみたいに行くと、「ここが良いですよ」と言ったところが良くない事の方が多いのです。ここが安いと言ったところはボルところが多いのです。それは運転手さんが向こうの人達と結託していると言いましたら悪いのですが、お客さんを連れてきたら100バーツあげるという様なところ。その様なものにやはりだまされてしまう。僕らというのは。今まで。ですからヨーロッパの人というのはガイドブック、この様なガイドブックあるのですけれども、地球の歩き方という本が、ではなくてロンリープラネットという本があるのですけれども、それを見るとここは危ない、ここはそれこそ入ってはいけない、ここは行ってはいけない、危ない、ただしここは大丈夫というのがこんな厚い本です。タイならタイでも。日本はこのくらいで表紙に非常においしいお料理や何かが書いてあって、ここで買い物をしましょう、ここで買い物をしましょう、買い物の事しか書いていないのです。ところが向こうの人は飛行機を降りました、どちらに行ったら良いのですか?左ですか、右ですか?という事から、どの様に、タクシーに乗ったら良いのですか?バスに乗ったら良いのですか?それからリムジンが良いのですか?という事が全部書いてあるのです。この厚い本に。それを見てやって来ますからこれは情報が全然違うのです。これは大事です。情報というのは。これから日本も本当に大事になってくると思います。やはり色々な経済、あるいは実際にも戦争をしました。日本も。情報というものは非常に日本の場合には、「あの人が言っているからそうか」という様な話しを信じるのです。それが若い人でも結構信じて1万円盗られたと言って威張っていますけれどもそうではなく、この様な少し日本の人の考え方を根本的に変えるというのは難しいかも知れないですけれども、だからその様な個人的な旅行というのもその様な1つの、ついて行って安全に帰ってくるというのも良いけれども、多少冒険的な事も、例えば韓国に行くのは全然問題ありません。これは韓国に大韓航空で札幌から行けば全く問題がありません。日本語はしゃべれませんけれども、どうすると言っても韓国語は難しいのでここに書いておくのです。このバスはどこどこまで行きますかと書いておくのです。これを運転手さんに見せるのです。運転手さんは日本語も英語も駄目ですから、韓国語しか話せませんからうんうんと言ってくれますから、もう1つ大事な事、そこについたら教えて下さい。この2つでバスは乗れます。これを見せるのです。そこについたら教えて下さいと言わないと何遍も回ってしまいます。このバスはどこどこまで行きますか、はい。それで終わってしまうと2回回った事があるのです。僕。それで3時間くらい回ってそうしたら元のところへ戻ってきました。がっくりしていたら「いいよ、また只で乗せてやるから」と言われて行きましたけれども、親切です。でもその様な時に途方に暮れるのが良い思い出になるのです。本当にそれが良いのです。それで韓国のソウルについて金浦空港でしたか、今は違うのですが、仁川ですが、そこについたら2階建てバスが待っていて、そこに「はい、いらっしゃい、いらっしゃい」とばーっと回って、「買い物しましょう」、「何か買いましょう、キムチ買いましょう」「これ、送れます」なんて言う様な事もそれはそれで良いのだけれども、少し途方に暮れたりする旅というのも若い人でも必要です。その様な人達が今、熟年の中で増えてきているのです。実に僕がそれで感激したのは、この間ラオスで1人の日本人に会ったのです。皆さん方の様な中年以上の、60歳を過ぎていましたからリタイアは去年したと言っていました。去年リタイアしたら、リタイアというのは定年です、定年になったら営業だったのでお酒を飲む事があったので、お酒が無くなって1年経ったらGTPというのが正常になったと。GOT、GTP、γ−GTP全部正常になったと言うのです。そうしたらもりもりと力がわいてきて、今まで夢に見ていた1人で旅行しようと、旅をしようという気持ちになってきたのだそうです。僕らも彼を連れてでしょう、その獣医さんはリタイア、この人はアレなのですと言ったら喜んで、友達になったと言ってラオスの小さな町です。本当に小さな小さな、日本人なんか行かない町で、こんなところで会ったかと大喜びで食事をして、ビールを飲んだのですが、その人はもう1ヶ月旅行しています、あと2ヶ月旅行します。それで僕と、僕がその時に考えたのと丁度同じ様に厚岸をリタイアする時に感じたのと同じ様な気持ちでずっと回っているのだそうです。本当に感激しました。その様な人達がこれから増えてくるのではないかと私は思いますし、ヨーロッパで会うご夫婦、二人連れでもインターネットで情報を検索しながら回っているという方もたくさんお目に掛かりました。その様にして旅の形というのがだんだん変わっていって、情報というものをその様にもっと本質的な情報、買い物情報だけではなく色々な危険情報、その様なものを得ながら少し冒険も良いかも知れません。それは60歳を過ぎても70歳でも韓国から始めたら良いです。台湾でも良いです。台湾は日本語で大丈夫です。それから台湾、中国の場合は漢字が使えるのです。例えば「私は水が飲みたい」と言ったら「我」「欲する」、「水」と書けば何とか中国内でも、韓国は駄目です。こうしておかないと。韓国は漢字が分かりませんから、アニハセヨですから。アニハセヨと言っておけば、さようならの時もアニハセヨ、こんにちはもアニハセヨですから大丈夫です。ニコニコ笑ってもう本当に素晴らしい、田舎の方に行ってその様な人達とお付き合いするというのも大変面白い。色々な質問をされます。中にはぐさっとくる、日本は原爆を落とされたのに何故アメリカと仲良くしているのだなんて、ぐさっとする様な事、それから後は忍者とは何かと聞かれます。忍者。それから昔の「おしん」の事や「やくざ」、「やくざとは何か」と聞かれたら難しいです。どうしたら分かるか、ゆびを詰めているとか黒塗りのとか説明しましたけれども。それでもう1つ、これは幹事さんに、もう最後ですから、これは僕がウガンダに行った時のものでしたか、その時のものがありますので、これは皆さんにコピーをして、ここのページだけで良いですから欲しい人だけ、ここに少し僕が出ていますから。この様な事も合間にしながら面白おかしく旅をしております。何か質問ありますか。丁度今半ですが、あともうしばらく僕はいますので、「俺、この様なところに質問があるのだけれど」、「この様な旅をしてみたい」とか、「これからまだ少ししてみる」とか、それからヨーロッパの場合にどうしてその様に旅の本が発達したか、旅の情報がどうしてアフリカやアジアのその様な隅々まで、この様な横町はどうのこうのという様な情報の集め方をしているかと言うと、向こうの人は長期休暇が取れるのです。つまり長期休暇というのはバカンス休暇と言いまして、ドイツ、フランス、イタリア等の主なヨーロッパの国々はバカンス法という法律があるのです。イギリスもあったと思います。バカンス法。そうするとバカンス法で2週間、連続して休まないと会社がちょっとコツンとされる、お前のところは消化していないのではないか、その様なところは非常に厳しいのです。そうすると若い人はそこにプラスプラス付けて4週間、4週間旅をするとやはり高いところは行けないから、やはりその様な地味と言いますか、安い、1泊100円か200円のところに泊まる様になる訳です。行くところもパリやシャンゼリゼ、イタリアの何とかには行けません。その様な人達は。だから必然的にインドのデリーに行ったり、カルカッタ(今のコルカタ)に行ったり、ネパールに行ったりせざるを得ないです。日本は来れません。その様な人は来ません。リュックを背負って歩いている外人なんて殆どいないです。ところがバンコクあたりに行くとその様な人がたくさん、ベトナムにもいます。大人も子供もいます。子供を連れている人もいますし若い人も我々の様な人もいます。それが出来るのです。法律があるのです。日本もそれをした方が良いというのが僕の説なのです。それをするとどうなるか。皆さんその様な色々な業種に携わっているかも知れませんけれども、まずノイローゼが無くなるのです。外国に行って南の島の何だか砂浜に寝っ転がって、はーっと2週間してみてご覧なさい。これがどうしようか、明日仕事だという人はとにかく忘れて休まないといけないのだから休んでこい、南の島へ行ってぼんやりしてこい、本も持たないで良いからと言って行くと、はーと言ってくると、世界に自殺者が3万人という国は無いのですから、この様な文化の国でです。ですからその様な事が少し減るのではないかと僕は思っているのです。それから旅館が変わってくる、ホテルが変わってくる、この様なビジネスホテルは良いですけれども、そして大きな1泊2万円のホテルが無くなります。無くなりませんけれども、そうではなく、1泊、例えば500円なら500円で何だかガルテン、ドイツに行くとあるのですが、少し果物を栽培していたりという様なところの隅っこの納屋の様なところを少し改造して休める様なところ、その代わり1ヶ月いたって2万円とかその様なところがたくさんあるのです。バカンスの人は皆その様なところへ行くのです。そしてプールで泳いだりして何もしないでバスケットボールくらいはするかも知れませんが、そのくらいで週に1回くらいはレストランに行きましょうと、そうするとレストランが儲かる、宿屋が儲かる、交通が儲かる、それから精神衛生上良い、お医者さんは助かると、色々な良い事が出てくるのではないか。日本も大体ヨーロッパに見習ってその様にする、うちは2日休んだらもう駄目、つぶれてしまう、なるべく給料安くても良い、その代わりダブルでするけれど良い?と言いますと、今フリーターの人はそれでも良いという人がたくさん出てくると思います。その様な事を勝手に話しましたけれども、これで時間ですので終わります。また少し僕はここに控えていますので、もしお金が無くても何かお話しあるという人がいましたら、どうぞ残って下さい。それでこれを読んで本当に良かったのかどうか、良いけれどもこれは俺たちには少し無理だとか、本当にもう少しコツというのは何ですかとか、病気になった時にはどうするかとか、それからだまされそうな人とはどの様な人とか、その様な事が欲しい人はどうぞ。どうもありがとうございます。勝手な事を話してお礼を頂いてしまって。僕は今割とフリーな時間がありますので、どこでも出かけて行きますので、また興味のある方はお呼び下さい。

青田会長謝辞
 時間が30分とったつもりだったのですけれども、まだまだ足りなくて申し訳なかったのですけれども、私、今日初めてお会いしたのですけれども、釧路にもお医者さんでこんなにユニークな方がいたと言いますか、自由奔放、すばらしい医療活動をされて、お話しも尽きなく、面白いお話し、ありがとうございました。

国際ロータリー定款の変更について(速報)
小船井 修一パストガバナー
1.国際ロータリー定款第5条会員第2節「クラブの構成」の変更
  この中で要約しますと、例えば(4)に地域社会に自ら参加することに よって、奉仕およびロータリーの綱領への献身を示していること等が追 加され職業分類は保持したまま会員資格をより多くの人に付与すること が出来、より現実に沿ったものになってきたということです。

2.出席義務について
  60%から50%に引き下げられました。

3.月2回の例会について
  毎週の例会から月2回の例会を認めるかを審議することとなり、試験的にいくつかのクラブで実施することとなりました。
以上、ご報告いたします。
新入会員挨拶
亀井 正文
 ご紹介頂きました亀井でございます。冒頭にご紹介がありました様に年齢で言いますともうすぐ50歳になる訳ですが、弊社の中での今回の人事ではサプライズ人事という事で、大変社内的には色々ございまして、もう東京に帰れるのだろうと実は思っておりまして、電話をもらって釧路だと、この一報を家内に入れましたら何故釧路という事でした。それで私も何故と思ったのですが、3月に入りまして引っ越しを終えまして大変良いところだと本音で思っていまして、私の携帯の個人署名はI Love 釧路 と入れていまして、大変気に入っております。家内も早々に来て、名古屋の時は殆ど来なかったのですが、3週間ほどおりまして一旦帰りまして、今日また釧路に入ってしばらく1ヶ月間くらいいるという事で、家内も最初から言いますと随分釧路を、とりわけ道東をという事で、勤務は初めてなのですが、仕事では出張で3度ほど来た事がございますし、6年ほど前に家内と道東旅行をしてもう一度北海道へ行きたいと言っていたところに勤務地で釧路に来れたという事は会社も大変優しい、最後に良いところを与えてくれたと本音で思っております。基幹的にはそんなに長くは無いのだという様に思っておりますけれども、その期間内はこのクラブの理念であります奉仕、地域に貢献出来るという様な事で、非常に濃い仕事をしていきたいと、あるいは濃い貢献をしていきたいという様に思っておりますので、一つ是非よろしくお願い致します。
会長の時間
5月10日(木) 12:30〜「PETSに参加して」
会長の時間
上田 徳郎 会員の皆様ありがとうございました。
野村 幸男 市内に新店舗を建設することになりました。
会長の時間 会長の時間
本日合計 本年度累計
201,000円 1,610,250円
日時 会員数 出席率