釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3438回
2016-2017年度
第24回 例会報告
2017年1月19日
例 会 内 容
年男おおいに語る

会長の時間
会長挨拶 木下 正明会長

 皆さん、こんにちは。

今日は「年男おおいに語る」ということで、例年のプログラムになっています。該当する方は数名いらっしゃいますが、本日は工藤会員のみ出席いただいております。後ほどおおいに語っていただきたいと思います。

歴代の会長さんがお話されていると思いますが、酉年の方の性格をお話させていただきます。

緻密で頭の回転が速い。「おおー」ということですね。

次、行きます。熱中し凝り性。完璧主義で、こだわりで生きている。「おおー」という感じですね。

次に、冷静に物事を見て論理的に言葉に出来る。批評家ですね。私もよく工藤さんに指摘されています。しかしながら、大きく羽ばたき大胆な変身を遂げることができると書いています。まさに年男のみなさんに当てはまるのではないのかなと思います。

酉なので「こんな感じではないか」としてこういう性格を割り出しているのではなくて、酉年生まれの方の統計を取って、こういう傾向が多いということで出しております。

神社でお守りを受け取る方はねずみ年の方がダントツに多いです。十二支のお守りを用意するときに、ねずみ年だけは倍の数を用意させていただきます。そうしないとねずみ年だけがいつもすぐに無くなってしまうことがあります。ねずみ年の方いらっしゃいますかね。理由は分からないのですが何回統計を取っても、ねずみ年が他の生まれ年より倍出ます。あとは大体一緒で、へび年の方が少ないというくらいです。ねずみ年なので小さいものが好きだということでお守りが好きなのかなと勝手にこちらで解釈しています。この後「年男おおいに語る」で工藤会員には20分くらい話していただければ、ありがたいと思っています。

今日は邵エレクトが欠席しています。理由は、当2500地区と韓国3590地区が姉妹地区でございまして、3590地区から高校生の交換留学生が5名北見に入られており、その通訳をされるためです。邵会員はこの何年か連続で韓国からの交換留学生や、その他訪問団が来たりすると通訳を務められています。クラブを代表して出ていただいているので、本当にありがたいことでございます。今回は4泊5日の日程でして、研修として「北の大地の水族館」に行き、デイケア施設訪問や北見と言えば常呂町がすぐ近くなのでカーリング体験です。北見神社に地域文化、日本文化と知るためお参りに伺い、北見ロータリークラブの例会に出席など、いろんなプログラムがあると聞いています。4泊5日つきっきりということで、邵エレクトにはご負担をかけていると思う次第でございます。

邵会員がそういったことをしてくださっているので、交換留学が成り立っているということを知っていただきたいと思います。邵会員、来年は会長でございます。網走の会員の方で韓国の方がいらっしゃるそうで、来年はその方にやっていただけることで話がついているということでした。高校生にはホームステイも2泊含まれており、姉妹地区同士ということで交換事業を活発にされているのかなと思います。ご報告があるかと思いますので、その時は耳を傾けていただければと思います。

皆さん今日の新聞でご存知だと思います。南クラブの佐藤了会長が16日にご逝去されました。現役の会長さんがなくなるのは大変なことではないかと思っております。満63歳ということでした。うちのクラブの平均が59歳でしょうか、私も含め皆さんも体調に気をつけていただければと思います。ご冥福お祈り申し上げますとともに、南クラブの立て直しと発展を祈念させていただきたいと思います。以上で、私の挨拶を終わります。

本日のプログラム
年男おおいに語る

プログラム委員会 副委員長 小野寺 俊 会員

 皆さん、お疲れさまでございます。プログラム副委員長の小野寺でございます。本年もよろしくお願いいたします。委員長の間崎さんが体調を崩されて長期欠席です。副委員長の植木さんも転勤していなくなって、プログラム委員会で“長”が付くのは私一人だけとなっています。残り半年なんとか頑張っていきたいと思います。

そう言ったもののプログラム委員会は1月から3月まで担当例会が目白押しでして、今日・来週、2月も2回、3月も2回ということです。私は11日間、年末年始で会社が休みでしたが、休み明けから体がなまっている中、奔走している途中でございます。特に2月23日は厚岸蒸留所の所長さんをお迎えして、夜間例会を開催させていただくことになっています。なぜ夜間にしたかというと「お話を聴いてウィスキーを味わう」といったことを考えているからです。昼の例会では車で来られている方がほとんどですので、飲むことはなかなか出来ないと思います。先方さんのご厚意で夜に来ていただけるということです。厚岸ウィスキーの例会にもぜひ皆さん参加していただきたいと思います。こんなところで、今後のプログラム委員会のCMをさせていただきました。

それでは、今日のプログラムでございます。「年男おおいに語る」ということですが、残念ながら今日年男で出席されている方が工藤会員のみということです。そこで「工藤彦夫おおいに語る」ということで、30分くらい語っていただこうかなと思っていました。さすがにそれは大変だなということで、とりあえず大委員長ですので私の顔を立てて10分くらいはお話していただけるのかなと思います。工藤会員よろしくお願いいたします。

  

工藤 彦夫 会員

 一人しかいないですが、本当は地元の人間だけでも乗山さん、梁瀬さん、谷川さんが同い年です。先ほど木下会長からお褒めの言葉、良いことを言っていただいたのですけれども、緻密な計画は立てますが生き方が緻密でないのでたらたら生きているという感じです。60歳になって何を感じるかを昨日からずっと考えましたが「何もないな、人生」と思っています。皆さんに話してもつまらない話なのです。

今は写真屋をやっていますが、その前は炭鉱にいました。学校を昭和55年に卒業して夕張で。話を聞くと、メンバーの山本晋君の故郷らしいです。北炭夕張新炭鉱に勤めましたが、入った年から不幸続きでした。初めは坑内火災です。坑内火災が起きると救護隊か僕らみたいな職員が入ります。僕は入社したばかりですが「とにかく入れ」と言われて。坑内火災なので「火があります。本当に大丈夫ですか。」と聞いたら先輩が「風上から入れば大丈夫だよ」と言っていました。夕張は縦坑で、その中で足がぶるぶる震えながら材料を持って密閉作業に当たったことがあります。なかなか恐い思い出です。それもつかの間で、もう1年経つとガス突出というのが起きて93人が亡くなりました。前の年の坑内火災で生産量が落ちているので、急いで新しいところへ入っていくと、ガス突出で93人亡くなっています。それもなんとも言いがたい。悲しい。遺体はどんどん運ばれてくるし、周りの家族は泣いているということで、何とも言えない。炭鉱には4大災害といって「落盤・ガス突出・粉じん爆発・坑内火災」の4つがあります。そのうち2つを2年間で味わっちゃったので、ここにいたら駄目だなと思いその後は釧路の太平洋炭鉱に入れさせていただきました。

ここは生産量も安定していて、労働組合もしっかりしていて、なかなか良い環境で働いていました。しかし石炭政策の七次政策というのがあって、だんだん合理化が始まってきましたので、その後は親会社の太平洋興発で石炭販売をやらせてもらいました。それまでずっと炭鉱で、お客さんと会話もしたことないのに、そういう所に異動させられるとなんとも居場所がありませんでした。

それまでの人生をみていると嫌なことばかりでしたが、良いことは、そこは初めて女性がいる会社でした。会社に行くのが楽しくて、楽しくて。今までは親父ばかりで炭鉱に行っても何も楽しくないのです。ただ暗い所にずっと入って行って、三番方もあったし。ここは女性社員がいるのでなかなか楽しい・嬉しい、人生の華のような世界です。ちょうどバブルの時で、自分の中では盛り上がっていました。

これから話すのは石炭です。皆さんは釧路で当然見たことがあるのですが、見たこともない人もいるのです。丸く「黒いダイヤ」とも言われていました。石炭の話を少しだけ話させていただきます。

石炭は、見た目はみな同じに見えますがカロリーが違う。中身が違うのです。人も見た目は綺麗に見えても中身が良かったり悪かったりしますので、それと同じです。特に4つあって、HGI・ハードグローブ指数といって、堅さ指数と硫黄分、脱硫、灰の溶融点などがあります。火力発電所の石炭ボイラーというのは石炭をそのまま燃やすわけではありません。あれを細かくします。だいたい200メッシュだから、75ミクロン位。髪の毛の太さ位に小さくしたものを噴射して焚きます。あのまま燃やすというのはほとんどないですね。燃やすと当然硫化物が出てくるので脱硫装置をつけます。太平洋と言ってしまいますが、コールマインの炭は硫黄分が少なくてユーザーさんには大変良かったのです。

あと、灰の溶融点があります。燃えたあとに灰になりますが、灰が1400度位で溶けます。灰の溶融点が高いと溶けないでそのまま落ちますが、低いと溶けてしまって、クリンカといって固まってしまうのです。そうすると熱をとるところに固まって熱効率がだんだん悪くなるということです。太平洋の炭はそういう面で、カロリーも安定している、安定生産しているということで良い品です。

いまだに何故か知人の貯炭場に行って石炭を見ると嬉しくて。星が浦には海外炭の貯炭場もありますね。とにかく石炭が好きなのです。

今、コールマインさんで50万トン位しか掘っていない。当時は一番多い時で230万トン位を掘っていました。だんだん釧路にも影響出ていますが、何年後かに石炭による火力発電所が出来るという話を聞くと、石炭に関わってきた者としては大変嬉しく思います。

本来は、自分の生き方みたいのを話すのでしょうが、生き方は本当にだらだらしているので、何も話すことありません。これから釧路が石炭でもう一度賑わうような街になったり、観光の街になったりするのが嬉しくて。今は台湾のこともやらせてもらっていますが、台湾の人がたくさん来て友好を深めていただくというのが僕の願いというか、今思っている気持ちです。

60年経って、やっとウォーミングアップ終わりました。これからが自分では本番だと思っています。ウォーミングアップに時間がかかり過ぎましたが。

今後ともよろしくお願いいたします。以上です。

 

プログラム委員会 副委員長 小野寺 俊 会員

工藤会員、ありがとうございました。“年男”ならぬ“山男”におおいに語っていただきました。それでは年男ではありませんが、今年古希を迎えられます田中会員にもぜひ一言頂戴したいと思いますのでよろしくお願いします。

 

田中 正己 会員

 皆さん、こんにちは。古希を迎えます田中でございます。今、古希と言われてもまだ実感が湧いてきません。新年交礼会で古希ということでお祝いしていただきまして、誠にありがとうございました。

先日は、本間先生と私と還暦の方と一緒のテーブルで楽しかったです。私たちの還暦は4、5人おりました。その時のプレゼント・赤いマフラーを首に巻いて、本当に私も元気であり、酒・たばこはもちろん、二次会・三次会は当たり前。朝まで流れて飲んでいました。最後のお店でママから着物のお土産を巻いてもらい酔ってそのまま家に帰り、女房に注意されたことが思い出されます。

今回は、早々と家に帰り開けて見ましたら、紺色に古希の色の紫のラインが入ったマフラーでした。ありがとうございました。

皆さんもご存じかと思いますが長寿祝いを調べて見ました。長寿を祝う節目の年齢には還暦や古希、それから喜寿などの名称があり本来は数え年で祝いますが、現在では満年齢で祝うことが多くなってきております。数え年を基準にする方式では、2017年の古希を迎える人は昭和23年生まれの人、2017年の誕生日に満年齢で69歳に、数えで70歳になり、私がちょうどその年齢にあたります。

また、私事ですが今から6年前、私が幹事の時でした。1か月と少しで幹事の役目を終えようとしている時に会社で体調不良で倒れて、私と付き添いの女房と初めての救急車に乗せられ病院に運ばれました。女房にはずいぶん心配と苦労をかけたと思っております。それ以来、女房には勝てないなとつくづく思いました。その後、退院し好きな酒・たばこを忘れてしまいました。その時に皆さんに大変ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。最近は記憶と物覚えが悪くなってきています。気をつけながら体調も無理せず、少しずつ調整をとっております。

釧路クラブに入会して私も今年で16年目に入ります。その間、理事・幹事・会長職をさせていただきまして、私自身は大変勉強になり感謝しております。また、ロータリーの70周年、80周年を迎えたことに感動いたしました。今度は90周年に向けて、ロータリーアンには学びからの引退はありません。これからロータリーアンとして、楽しみながら日々を過ごして参りたいと思います。

また、私の会社も今年の8月で40周年を迎えようとしています。健康管理に十分気をつけて頑張っていきたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

 

プログラム委員会 副委員長 小野寺 俊 会員

田中会員、突然のご依頼にありがとうございました。

この後、ネタがないだろうなと思って「会員卓話」ということで、久しぶりにお見えになりお会いした高橋徹次先生に一言をもらおうと先ほど無理矢理お願いしました。よろしくお願いします。

 

高橋 徹次 会員

 皆さん、あけましておめでとうございます。高橋でございます。実は私は今年の1月8日に学会で一番難しい日本口腔インプラント学会指導医試験というのがありまして、年末年始はいつもどおり8時半に病院に出て、6時くらいまでずっと試験勉強というのをしておりました。新年交礼会や年末などに欠席することになりまして申し訳ありませんでした。おかげさまで、結果は3月の理事会で発表になりますが、たぶん大丈夫かなと思っております。

インプラント学会の指導医というものは非常に、結構、難しいものであります。開業医で取るのはなかなか難しいと思っております。学会在籍10年で、論文が6点、発表が6回、専門医更新2回、などいろいろな階段を上ってやっと受験出来るような試験です。

皆さんは歯医者に行くと大きい写真を撮られると思います。それはパントモ写真と言います。この試験を受けるにあたり「術前・術後、3年経過後の写真をA4に横に並べて100症例を提出しなさい。本数の多いもので古い順番に並べて全部提出しなさい。」というのがあります。何回ヤマダ電機に通ったことか。プリントアウトを光沢紙で一枚一枚印刷します。一人で開業してやっていますので、全部自分でやって、取り込んで、印刷していました。それが終わってやっと申請が9月くらいに受理されて「1月8日の試験を受けていいですよ」となったのですが、「試験当日には術前・術後をA4に1枚ずつ印刷して来なさい。」と言われました。“イジメか!”みたいな感じですが、最初はA4に術前・術後で並べ、今度は1枚をA4に全部横版で持参しないと、ということでまた印刷をして、心が何回も折れかかったのですが、自分の最後の目標でもあったので頑張ってみようと思い受験しました。

勉強も国家試験以来、こんなに勉強したことないなというか、最近自分も56歳なので、なかなか昔みたいに無理もきかないものですから、家に帰ったら“風呂勉”といってiPadを防水ケースに入れて、学会の指導医治療マニュアルみたいな厚い本がありますのでお風呂に入りながら勉強していました。家では年末年始に「じゃあ風呂勉に行って来る」みたいな感じで一生懸命に風呂勉をやりました。

「これを受けよう」と思った漠然とした目標がありましたが、実は恩師の先生が、自分が所属している北日本口腔インプラント研究会の30周年記念誌に「若い先生に伝えたいこと」と書いてあって、「素晴らしい恩師を持つこと。それも尊敬するくらいの恩師を持つこと」と書いてありました。自分にも素晴らしい、日本でも有名な恩師の先生がいらっしゃり、先生の後ろ姿を見ながら一生懸命頑張って来たので恩師はいるなと。もう一つは「目標を持つこと」と書いてありました。ああ目標か、インプラント学会の指導医というのは僕の昔からの目標だったというのがありましたので年末から少しずつ準備を始めて今回受けることにしました。

最後に書いてあったのは「健康であること」とありました。今年1月の試験が終わりましたので、自分も87〜88kgありますので、今年は健康に気をつけようということで、今日は久しぶりに休診日でしたので、Wiiフィットに乗ってみたら「パパさん、千何日ぶりですね。目標まではまだいっていません」と言われましたので、今年は少しダイエットをして、出来れば70kg台まではいきたいと思っています。

拙いお話でしたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

プログラム委員会 副委員長 小野寺 俊 会員

私、来年が年男でございます。工藤大先輩の話を肝に銘じて、来年の「年男おおいに語る」では大いに語ろうと心を新たにしたところでございます。もしかしたら欠席するかもしれませんが、何とかおおいに語れるよう今のうちからどんな話をしたらいいかということを日々考えていきたいなと思います。

以上をもちまして「年男おおいに語る」を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

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